日本で唯一の“世界記録”樹立した航空機、どんな機体? 思わず二度見な前代未聞の記録とは
日本の航空宇宙技術発展史上の画期的な記録を残した航研機が航空宇宙技術遺産として認定を受けました。同機は、東京瓦斯電気工業が開発した機体です。
日本で唯一の航空機での世界記録を樹立した機体
2025年4月4日、日本の航空宇宙技術発展史上の画期的な記録を残した「航研機」が、航空宇宙技術遺産として認定を受けました。同機は、東京瓦斯電気工業(現:日野自動車)が製造し、1938年に長距離飛行の世界記録を作った実験機で、正式名称を「航空研究所試作長距離機」といいます。

同機は、2025年現在、国際航空連盟(FAI)によって公式に認定された世界記録を達成した、唯一の日本の機体です。1938年5月13日に木更津-銚子-太田-平塚-木更津の周回コースを29周。62時間22分49秒という飛行時間をかけ、1万1651.011kmを飛んだのです。
第一次世界大戦中急速に発展した航空機の技術において、日本は欧米の産業先進国に大きく遅れを取っていました。そうしたなか、日本の航空産業を世界水準にまでするべく、1918年に東京帝国大学(現:東京大学)に航空研究所、略称「航研」が創設されました。
同機関は1921年から陸軍航空本部管轄の組織となり、世界記録の樹立によって日本の航空産業の技術をアピールすべく、長距離飛行の研究用に開発されたのが同機でした。
機体は全長15m、全幅28m、重さ9200kgで、軽量化のため翼の一部には布が張られ、胴体を流線形にして空気抵抗を減らす工夫が施されていました。
なお機体の製造は東京瓦斯電気工業が担当しましたが、エンジンは川崎航空機(現:川崎重工業)がBMW製の水冷エンジンを元に、中身をほぼ変えるような改造を施した700馬力エンジンを搭載。プロペラは日本楽器製造(現:ヤマハ)が削り出した二翅式木製プロペラが使われており、戦後復興を支える企業などが、既に大きなプロジェクトに戦前より関わっていたことがうかがえます。
航研機が長距離飛行の世界記録を樹立した当時は、大々的に報じられたそうで、記念切手なども発行されています。ちなみにこのとき、両翼が赤く塗られていたことから、同機は「真紅の翼」とも呼ばれていたそうです。
その後、第二次世界大戦終戦後まで、実は航研機は生き残りました。しかし、進駐してきたGHQから軍用機扱いを受けたため、破棄されることになりました。ちなみに、機体の残がいは、現在の羽田B滑走路のあたりに埋められているという話もあります。
コメント