ホントに架線が無くなってる…! “非電化化”されて”電車的な気動車”で災害復旧したかつての大幹線「奥羽本線」 コストカットの背景は?

奥羽本線の山形・秋田県境部が災害による不通から9か月ぶりに復旧。しかし、以前走っていた「電車」は消えました。「非電化化」を伴う復旧は異例ではありますが、果たして利便性はどう変わったでしょうか。

他の路線でも進める「非電化化」

 JR東日本は、2021年3月期の決算説明会資料で、一部路線の「非電化や単線化の検討」を示唆していました。不採算路線の経営改善のために、コストカットが喫緊の課題です。

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奥羽本線院内駅での気動車と電車の接続。上りは院内駅、下りは横堀駅で同一ホーム乗り換えが可能(森口誠之撮影)

「非電化化」第1号は磐越西線の会津若松~喜多方間です。ここは2022年3月に電車の運行を取りやめて、架線など電化設備を撤去しました。同年9月にはJR九州も、長崎本線の肥前浜~長崎間を西九州新幹線開業にあわせて「非電化化」しています。

 筆者はこの頃から、次の「非電化化」候補は、奥羽本線新庄~院内~湯沢間だろうと想像していました。

 新庄~院内~湯沢間の利用は長らく低迷しています。1kmあたりの1日平均旅客輸送人員を示す輸送密度はJR初年の1987年度で4047人でしたが、2002年度898人、2019年度416人、2023年度291人と激減しています。県境を越える新庄~院内間に限ると、輸送密度はさらに低いでしょう。

「本線」なのになぜ? と疑問を持つ方もいらっしゃると思います。奥羽本線ならではの事情があります。

 奥羽本線は、前出の通り全線電化された1975年当時、首都圏と秋田県を結ぶ大動脈として、上野発の「つばさ」や「あけぼの」「津軽」などの直通列車が走っていました。

 ただ、東京~秋田間の流動は1982年の東北新幹線開業で盛岡駅・田沢湖線経由が中心となりました。さらに山形新幹線「つばさ」が1992年に山形、1999年に新庄まで乗り入れ、1997年には秋田新幹線「こまち」が東京~秋田間を直通します。

 この過程で、新庄~院内~湯沢間はメインルートから外れました。特急と夜行列車の運行は終了し、県境を越えて行き来する需要が激減しました。沿線人口も通学の高校生も減少し、非電化区間内で一番利用の多い真室川駅でも、乗車人員は1日72人(2023年度)、2000年度比で27%です。

 並行して東北中央自動車道の一部となる自動車専用道路の整備が進みます。2025年度中に秋田県側は院内以北が開通し、及位~院内間など残り16kmは工事中です。この道路は未開通部も含め、山形の東根市から新庄を経て湯沢市まで100km以上にわたって無料で利用できます。JRも太刀打ちできません。

【むしろスッキリ?】これが「架線が外された」奥羽本線です(地図/写真)

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