国鉄が開設した「最初のバス路線」とは? “自動車駅”も存在 当時に近いルートをたどって乗り継いでみた
国鉄はかつて、鉄道や鉄道連絡船だけでなく、バスも運行していたことをご存じでしょうか。当時の車両は今も現存しています。
往時に思いを馳せながら乗り継ぎ旅も可能
下半田川は愛知県側で最後の町。周囲は田畑が広がる、農村のような雰囲気の場所です。下半田川~妻之神間は岐阜県側からやってくる東濃鉄道も並走しており、停留所も同じ位置に設置され、ポールが仲良く並んでいるのは面白いポイント。しばらくすると、これから向かう岐阜県側から、赤と白のツートンに緑の細いラインが入った東濃鉄道のバスが姿を見せました。このバスが折り返して、多治見に向かいます。

東濃鉄道のバスには、妻之神から徒歩で始発の下半田川まで戻って乗車。国道248号に入ると愛知と岐阜の県境に向けてどんどん標高が上がっていき、やがて県境を通過。多治見市内にはいると一転して下り勾配に。片側2車線で中央分離帯もある、よく整備された道路を備えるニュータウン・ホワイトタウンで数名の乗り降りがありました。やがてバスは岐阜県内に入って庄内川から名前を変えた土岐川を陶都大橋でパスして、終点の多治見駅前に到着。下半田川から多治見駅前まで、26分で結んでいます。
国鉄バス開設当時とは使用車両はもちろん道路状況も異なりますが、往時に思いを馳せながら乗り継ぎ旅を楽しむことができました。
ちなみにまったくの私事ですが、筆者の祖父は瀬戸にほど近い愛知県名古屋市守山区上志段味で生まれ育ち、国鉄バスにも親しみがあったようです。筆者は幼い頃から「国鉄バスは瀬戸が発祥だった」と聞かされて育ちました。
Writer: 水野二千翔(高円寺工房/モビリティライター)
レイルウェイライター種村直樹氏に憧れ鉄道・バスライターを志す。これまで「バスマガジン」や「Rail Magazine」で執筆。現在はモビリティ全般に興味を広げ、ドローンや空飛ぶクルマの記事も。国家資格「一等無人航空機操縦士」所持。近著に「ドローン3.0時代のビジネスハック」ほか。
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