国鉄が開設した「最初のバス路線」とは? “自動車駅”も存在 当時に近いルートをたどって乗り継いでみた
国鉄はかつて、鉄道や鉄道連絡船だけでなく、バスも運行していたことをご存じでしょうか。当時の車両は今も現存しています。
当初は「路線バス7台」でスタート
現在JRが管理する鉄道は、1987年までは日本国有鉄道、いわゆる国鉄が運営していました。国鉄は、日本全国で鉄道や鉄道連絡船だけでなく、バスも運行していたことをご存じでしょうか。

国鉄の前身である鉄道省は、1922年に公布された鉄道敷設法により鉄道網の新設を進める一方で、鉄道では採算を取るのが難しいと考えられる区間には、バス路線を整備することにしました。全国から7路線が候補として挙げられたなかで、第1次路線、つまり「国鉄バス第1号路線」として整備が決まったのが、国鉄バス岡多線です。
この岡多線は愛知県の岡崎と岐阜県の多治見を結ぶ路線。途中、瀬戸では多治見方面と愛知県の高蔵寺方面に分岐するようになっていました。1930年12月20日に開業し、本線である岡崎~瀬戸~多治見間57.1kmを約3時間、支線の瀬戸~高蔵寺間8.7kmを約30分で結んだといいます。面白いのは旅客輸送だけでなく、貨物輸送も行っていた点。沿線は「瀬戸物」や「美濃焼」といった陶器が重要な産業になっており、製品の運搬も岡多線の使命だったのです。開業当初は路線バス7台、トラック10台で営業をスタートしました。
瀬戸にはかつて「瀬戸記念橋駅」という、鉄道駅と同様の機能を備えた「自動車駅」が存在していました。岡多線のジャンクションとしての役割を担いましたが、現在は再開発により観光施設「瀬戸蔵」が立ちます。その一角には「省営バス発祥の地」という碑があり、往時の記憶を伝えています。
ちなみに、当時の路線バス7台のうち1台は現存しており、名古屋市の「リニア・鉄道館」で見られます。この車両は岡多線で1937年まで走った翌年、東京万世橋にあった旧鉄道博物館(後の交通博物館)で長らく展示。2007年には大宮に新設された鉄道博物館へ、2011年にリニア・鉄道博物館へ移された経緯があります。
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