「時代遅れのビートル」から「世界のお手本ゴルフ」の会社へ VWはどうやって転身したのか?
「世界中で毎日、2000人以上が新たにゴルフに乗り始めている」といわれる、まさに“世界一の大衆車”フォルクスワーゲン・ゴルフ。初代のカクカクした形は、それまでの同社のイメージを大きく変えました。
なかなか進まなかった「ビートルの後継車」開発
1974年に初代が登場して以来、51年間で4000万台以上を生産したというフォルクスワーゲン(VW)の「ゴルフ」シリーズ。一説には「世界中で毎日、2000人以上が新たにゴルフに乗り始めている」といわれ、文字通り「世界一の大衆車」といえるでしょう。

しかし、1974年の登場前後のストーリーは意外と知られていません。その開発背景には、当時のVW社が抱えていた困難な事情があったといわれています。
ナチス・ドイツ時代の1930年代、フェルディナント・ポルシェ博士によって生み出されたタイプ1は、のちに「ビートル」と名付けられます。そのタイプ1を生産するために、国策企業としてVW社が創設されました。
第二次世界大戦終了後、VW社は民間用のタイプ1を生産し、大ヒット。ドイツ・ウォルフスブルクの自社工場で1970年代まで生産が続きました。しかし、1950年代から1960年代にかけては、自動車製造技術が著しく飛躍した時代であり、設計思想の古いタイプ1は少しずつ支持を失っていきました。ドイツ国内のタイプ1のシェアは、1962年の45%から1972年には26%まで減少していたのです。
こうした中、VWは1965年、タイプ1に変わる新型車の設計をポルシェに依頼。ポルシェは、EA266という試作車を考案します。斬新なエンジン配置などを行い、機能性にも優れていましたが、その独特のレイアウトで車高が高くなるなどのデメリットもありました。結局、開発は中止され、50台ほどが製作されたプロトタイプは、2台のみを残して廃棄されました。
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