是が非でも性能アップだ!「心臓」変えて名機になった日独の戦闘機たち
戦闘機の性能向上を図る際によく見られるのが、新型エンジンへの換装です。そのようななか、第2次世界大戦では空冷エンジンと液冷エンジンという全く異なる形状で付け替えた日独の戦闘機を紹介します。
三式戦闘機「飛燕」は液冷エンジン搭載がネックに
しかし、これによりFw190D型は、性能面で米製のノースアメリカンP-51「マスタング」や英製のスーパーマリン「スピットファイア」後期型などと互角に戦えるようになっています。ただ、本機の実戦配備が始まった1944年後半になると、米英のパイロットに比べてドイツ軍パイロットの練度の低下が著しく、生き残っていた一部のベテラン・パイロットは別として、せっかくの高性能を生かして存分に戦うことができませんでした。

ところで液冷エンジンは、空冷星型エンジンのように航空機の前面から入って来る空気でエンジンを冷却するのではなく、ラジエーターで冷やされた液体を循環させてエンジンを冷却します。そのため空気抵抗が大きく速度低下の原因となるエンジン周りのデザインを細く滑らかにでき、それによって航空機の速度を向上させることができます。さらに機首が細くなるので、コックピットからの前方視界が向上し、エンジン周りに機関銃を装備するスペースが広めに得られるなどの長所もあります。
液冷エンジンにはこうしたメリットがあるため、航空機用の開発が1920年代頃からイギリスやドイツで活発に行われるようになります。両国はその先進国でした。そこで日本陸軍も1939年にドイツのダイムラーベンツDB601液冷エンジンのライセンス生産権を川崎航空機に購入させて、同エンジンの国産モデルを搭載する重戦闘機「キ60」と軽戦闘機「キ61」の開発をスタートさせます。
その結果、後者を元に採用が決まったのが、三式戦闘機「飛燕」でした。
「飛燕」は第2次世界大戦中の1943年8月に採用されますが、同機は機体設計こそ優良だったものの、DB601の国産型であるハ40エンジンに問題がありました。当時の日本の基礎工業技術力と低品質の素材ではDB601を完璧にコピーするのが困難だったうえ、それまで空冷星型エンジンしか扱ってこなかった整備兵たちは液冷エンジンの取り扱いに不慣れで、調整や整備がうまくできないという面が重なり、本来の性能を発揮させられず、結果、稼働率の低さまで招いてしまったのです。
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