「あいつらどこ行った!?」敵を恐怖に陥れた“幽霊師団”の真相とは? 指揮官は「名将ロンメル」

1940年6月、第二次世界大戦の序盤、戦禍に揺れるフランスにひとつのうわさが流れました。「ドイツ軍に幽霊のような師団がある」と。

フランス侵攻開始時の第7装甲師団は?

 ロンメルはそんな師団を着任直後の2月から徹底的に鍛え上げたといいます。訓練はおもに快速で行動するための野外演習、そして無線を利用した連携作戦、そして正確な射撃といった内容でした。

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炎上するフランスの軍艦とそれを眺める第7装甲師団のIV号戦車乗員(画像:連邦公文書館)

 夜になれば小隊長クラスまで将校を全員集めて、昼間の訓練の講評を行い、そしてまた翌朝訓練を開始するといった具合です。そのかいあって、1940年5月、ドイツ軍がフランス・ベルギー侵攻作戦、通称「黄色作戦」を開始するころには、第7装甲師団の練度は驚くほど高まっていました。

 さて、ドイツ軍のフランス・ベルギー侵攻作戦といえば、いわゆる「電撃戦」として喧伝された作戦として有名です。この戦いで機動力をいかんなく発揮し、足止めになると思われたアルデンヌ森林地帯をものともせずに、素早く侵攻した戦車軍団の活躍は、多くの書物などでも語られています。

 ロンメル率いる第7装甲師団はフランス侵攻の初動において、主攻を担当するA軍集団に所属しながら、アルデンヌの中央部には直接展開せず、ベルギー南部を経由してムーズ川流域へと進出しました。連合軍の意識がオランダ・ベルギー北部(B軍集団)に向いていたスキを突き、アルデンヌの難地形を突破してムーズ川を渡河。A軍集団の突破作戦の一翼を担う形で、フランス奥地への電撃的な進撃を展開しました。

【かなり現場主義】これが、フランスで指揮をとるロンメル(写真)

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