合体でパワーアップ!?「親子飛行機」3選 なかには子機だけ生き残って帰還することも
飛行機が飛ぶ際に最もパワーを要するのは離陸の際です。問題の解決には、エンジンを増やしたり翼を大きくしたりするがありますが、それとは別に複数の飛行機を合体させるパターンもありました。それが親子飛行機です。
郵便用として生まれた民間の親子飛行機
1903(明治36)年12月17日に、アメリカのライト兄弟が世界初の動力有人飛行に成功して以来、飛行機はより遠くに、より大量の人やものを載せて飛べるよう進化し続けています。それを叶えるために、まだエンジンが非力だった時代には、大型機と小型機を合体させ、離陸時の馬力不足を補完したり、航続距離を補ったりしたことがありました。

こうした機体は、その外観から「親子飛行機」などと呼ばれますが、それらのなかで特徴的な3タイプについて見ていきます。
民間の親子飛行機として代表的なのが、メイヨー親子飛行艇です。これはイギリスの航空機メーカーであるショート・ブラザーズが開発したもので、1937(昭和12)年9月に初飛行しています。
開発の理由は、大西洋を横断するような長距離郵便輸送への対応で、ショート・ブラザーズの技術顧問であったロバート・H・メイヨー空軍少佐が、大小の飛行機を合体させ実現することを考案したことから、彼の名を冠して呼ばれるようになりました。
用いられたのは、親機がショートS.21「マイア」飛行艇、子機がショートS.20「マーキュリー」水上機で、前者の機体上部に後者が搭載されていました。まず、親機が子機を背負った状態で飛び立ちます。そして適切な高度と速度に達したら、子機を切り離し、子機は単独飛行へと移行。一方、親機は帰投します。
1組作られ、1938(昭和13)年7月に郵便貨物272kgを積んでアイルランドからカナダへの約4720kmの飛行に成功すると、同年10月にはスコットランドから南アフリカへの約9730kmの飛行も完遂しています。しかし第2次世界大戦が始まった影響で、1941(昭和16)年にリタイアしてしまいました。
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