日産「マザー工場」が終了 じつは一度閉鎖された過去も「日本最後の空戦」まで起きた歴史ある場所
2025年7月16日、経営悪化により日産は、横須賀市にある追浜工場と、子会社の日産車体湘南工場の双方で車両生産を終了すると発表しました。神奈川県は日産の創業の地。追浜工場の前身は歴史ある飛行場でした。
日産が追浜工場で自動車生産を終了へ
経営再建の途上にある日産自動車は2025年7月15日、イヴァン・エスピノーサ社長兼最高経営責任者(CEO)の記者会見を開き、e-POWERを搭載した日産「ノート」や「ノートオーラ」を生産する追浜工場(横須賀市)での車両生産を2027年度末、「AD」と「NV200バネット」を生産する日産車体湘南工場(平塚市)での車両生産を2026年度末までに終了すると発表しました。

この2工場は、ともに神奈川県内にあり、従業員は合わせて5000人以上に達します。日産のサプライチェーン(供給網)のうち、神奈川県内の企業は2030社、従業員は15万3000人にもおよぶことから、地元経済への深刻な影響を与えることが確実視されています。
とはいえ、両工場の稼働率は5割未満と、8割前後とされる損益分岐点を大幅に下回っており、過剰な設備と人員が日産の収益を圧迫していることは事実です。神奈川県の黒岩祐治知事は日産に閉鎖の取りやめを要求していましたが、ほかに有効な策もないことから知事の要請は退けられた模様です。
このように、日産の不振でにわかに注目を集めるようになった追浜と湘南の両工場ですが、従業員の数など規模が大きいのは前者です。追浜工場は、京急本線追浜駅の近くにあり、日本で初めての本格的自動車生産工場として1961年に操業を開始。その後も「混流ライン」と呼ばれる複数の車種を同時に生産する技術を日本で初めて取り入れたほか、1970年には自動車業界初の溶接ロボットを導入しています。
近年においても、「モジュール生産」などの最新技術を次代に合わせていち早く取り入れるなど、半世紀以上にわたって日産の国内主力工場として活動を続けてきました。
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