チューハイorプロレス技?「赤羽スペシャル」なぜ生まれた? 米軍戦車に東京の地名ついたワケ

陸上自衛隊も草創期に使用したM4「シャーマン」戦車ですが、そのなかに日本の地名が付けられたタイプが存在します。なぜそのような名称になったかを紐解くと、太平洋戦争後の日本の置かれた状況が影響していました。

誕生のキッカケは朝鮮戦争

 大戦終結から5年後の1950(昭和25)年6月25日、突如、北朝鮮が韓国に向けて侵攻を開始、朝鮮戦争が始まります。アメリカは自陣営の韓国救援を計画、最も近くにいる部隊として、日本の駐留アメリカ軍を朝鮮半島に派遣することにしました。

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「赤羽スペシャル」を生み出す際に参考にされたM4A3E4。見た目はほぼ同じ。写真はユーゴスラビア陸軍に供与されたもの。

 アメリカは当初、北朝鮮の戦力を過小評価していたため、戦車については輸送しやすい小型のM24「チャフィー」軽戦車を朝鮮半島に投入します。しかし、北朝鮮が装備するソ連製のT-34-85戦車に太刀打ちできなかったため、M4「シャーマン」戦車が送られることになり、また一部の車体については火力向上のために、急きょ東京都北区赤羽にあるアメリカ軍の「東京オードナンスデポ」で改良が加えられることになりました。

 赤羽周辺には、大戦終結まで旧日本陸軍の造兵廠(兵器工場)が多数あり、終戦で連合国に占領されると、それらはアメリカ軍キャンプに転用され、いくつかは造兵廠の機械設備を流用して連合国軍である進駐アメリカ軍の兵器整備工場として用いられました。

 この整備場が前出の「東京オードナンスデポ」です。ここには当時、フィリピンや中国(中華民国)、韓国などにアメリカが供与しようとしていた中古兵器が再整備のために集められていました。また朝鮮戦争が始まると、最前線で酷使された戦車をはじめとした各種兵器も、修理や整備などのために後送されており、それらを活用してM4戦車の改良を行おうというのは自然な流れだったといえるでしょう。

 結果、こうした各種作業がここで実施されたため「赤羽」という地名が愛称になったのです。

【写真】これが「赤羽スペシャル」誕生の契機になったライバル戦車だ

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