「なんて艦なんだ…」日本敗戦後 米海軍の前に現れた異形の「潜水空母」 旧日本海軍の考えた驚愕の戦法

第二次世界大戦中、日本の降伏が国民に公表される前日の1945年8月14日、西太平洋のウルシー環礁(現ミクロネシア連邦)付近には、アメリカ艦隊を攻撃するため潜伏していた日本海軍の潜水艦が存在していました。

当初はアメリカ大陸近海での運用も想定されていたが…

 伊400が完成した当初は、計画通りアメリカ西海岸の攻撃が検討されていましたが、1944年末からの日本本土への空襲激化を受けて作戦は変更されました。さらに、1945年5月のドイツ降伏後には、大西洋方面から太平洋に移動してくる米英艦隊を妨害するため、パナマ運河の攻撃も検討されましたが、こちらも効果が薄いと判断されて中止。最終的に、アメリカ空母艦隊が停泊するウルシー環礁を攻撃目標とすることが決まりました。

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伊400型に搭載されていた攻撃機「晴嵐」(画像:アメリカ国立航空宇宙博物館)

 この作戦には、伊400と伊401の2隻が参加し、1945年7月23日に青森県の大湊から出撃しました。攻撃予定日は8月17日と定められていましたが、その2日前、日本は降伏を決定。作戦は中止され、両艦は帰還の途につくことになります。

 帰路の途中、伊400は三陸沖でアメリカ海軍の駆逐艦「ブルー」に拿捕され、伊401も同じく三陸沖でアメリカ潜水艦「セグンド」に接収されました。全長122メートルもの巨大な潜水艦であった伊400型を初めて目にしたアメリカ海軍の将兵たちは、その規模に大きな衝撃を受けたと伝えられています。

 その後、伊400型の2隻は1946年1月、アメリカ本土で技術調査を受けたのち、ハワイ近海で標的艦として撃沈処分されました。

 伊400型は、画期的な発想で開発されたにもかかわらず、実戦での活躍の場をほとんど与えられないまま沈められることとなりました。しかし、搭載されていた特殊攻撃機「晴嵐」については、現存機がアメリカのスミソニアン国立航空宇宙博物館の新館において、「後世に残すべき飛行機」として展示されています。

 理論上、世界中のどこでも攻撃が可能という当時としては画期的な能力を有していたことから、伊400型は後に登場する潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)を搭載した弾道ミサイル潜水艦や、戦略ミサイル原子力潜水艦の先駆けとも評されます。ある意味では、時代を先取りした先進的な兵器であったといえるでしょう。

【謎の筒の正体!】これが、戦後米海軍が調査した伊400型格納庫の内部です(写真)

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ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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