道路建設で「史跡が出てきた!」そのときどうした? 壊さず“豪快に避けた”道たち

道路建設によって多くの史跡が失われた一方、その保存が模索されたケースもあります。大胆に道路の線形を変えて守られた史跡を紹介します。

遺跡が出てきた!→道路を「海」へ!

 道路を新たに建設する際、建設予定地から古い時代の遺跡が見つかることもあります。

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恩納村仲泊の国道58号。走っているとわかりにくいが海側に大きく迂回している(植村祐介撮影)

 こうした遺跡は地中にあることから、先に挙げた一里塚のように道路との共存は難しく、発掘調査を終えたのちに道路を通すか、道路そのものを迂回させて遺跡を保存するかという選択を迫られることになります。そして実際に「道路より遺跡」を選択した例が、いくつも存在します。

 沖縄県では1974年、翌年に控えた「沖縄国際海洋博覧会(海洋博)」の関連事業として行われた国道58号の改良工事の際、道路予定地である恩納村(おんなそん)仲泊地区で、2500~3000年前のものと思われる住居跡や貝塚が発見されました。

 この発見は関連学会だけでなく、沖縄県民の間で広く話題となり、保存を求める声が高まりました。こうした県民の要望を受け、沖縄県および沖縄開発庁(当時)は遺跡保存のため、ルートを海側に大きく迂回するルートへと変更しました。

 その後、仲泊遺跡に隣接し開設された「恩納村博物館」では、仲泊遺跡の時代を含めた恩納村の歴史について展示を通して知ることができます。

●超重要区間だから遺跡壊そうか→“両立”へ

 静岡県沼津市では1978年、沼津駅の北約2kmの市街地から東日本最古級の大規模前方後円墳「高尾山古墳」が発見されました。

 この場所は発見以前に都市計画道路予定地として指定されており、沼津駅から国道1号、同246号、そして東名・新東名・伊豆縦貫道を結ぶ線上にあることから、沼津市は2015年に道路建設を優先し、古墳を取り壊す方針を決定しました。

 しかし川勝平太静岡県知事(当時)が道路建設と古墳保存の両立を求め、市は方針を転換。遺跡の保存と道路整備の両立が模索され、最終的に、トンネルと橋で古墳を避ける線形に変更されました。同古墳はその後の2024年10月、国史跡に指定されています。

 この沼津南一色線は、15年の歳月を経て2025年7月に着工、まず橋を暫定2車線で開通させ、その後にトンネルを供用して4車線化する計画です。

【どれも豪快!?】「史跡を避けた」道路アレコレ(地図/写真)

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