日本で実施の“伝説の航空ショー”どんなものだった? 「日本の防空の未来」を決めた“バチバチ対決”も

「航空ショー」といえばいまや「海外でやるのが当たり前」と思われがちですが、過去に航空自衛隊の基地で数回にわたり、大規模な国際エアショーが開催されたことがあります。どういったものだったのでしょうか。

かつて日本で開催された伝説のエアショーがあった!

 2025年現在、航空自衛隊の基地を使用して行われる航空ショーといえば、航空祭や記念行事が中心であり、民間企業とタイアップした航空ショーや、国際的なエアショーなどは開催されていません。しかし、1960年代から1980年代にかけては、航空自衛隊の基地で数回にわたり、大規模な国際エアショーが開催されたことがあります。

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かつて、第5回国際航空宇宙ショーが行われた入間基地で開催した2024年の入間航空祭で展示された北陸新幹線カラーのF-15(乗りものニュース編集部撮影)

 なかでも1976年に行われた第5回国際航空宇宙ショーは、航空自衛隊や航空業界にとって大きな出来事と重なった年であり、「伝説」とまで呼ばれる存在となっています。

 国際航空宇宙ショーは、航空宇宙分野の国際展示会として、1966年11月に第1回が入間基地で開催されました。その後、2~3年ごとに小牧基地や岐阜基地などを会場として、第7回まで開催され、アメリカやイギリスなどの各国の航空機や、日本国内の航空各社による機体・技術の展示が行われています。

 第5回国際航空宇宙ショーは、1976年10月16日から24日までの9日間、入間基地で開催されました。この1976年という年は、航空自衛隊の次期主力戦闘機の選定が大詰めを迎えており、この時点で候補はF-14、F-15、F-16の3機種に絞られていました。

 イベント開催直前の段階では、F-15がF-14よりもコストパフォーマンスに優れ、上昇力や加速性能にも優れるとされ、有利と見られ始めていました。F-16に関しては開発途上であったことに加え、当時の航空自衛隊が求めていた空戦能力や航続距離に達していないという指摘もありました。

【エアショー専用カラー!】これが、当時のイベントで展示されたF-15とF-14です(画像)

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