日本で実施の“伝説の航空ショー”どんなものだった? 「日本の防空の未来」を決めた“バチバチ対決”も
「航空ショー」といえばいまや「海外でやるのが当たり前」と思われがちですが、過去に航空自衛隊の基地で数回にわたり、大規模な国際エアショーが開催されたことがあります。どういったものだったのでしょうか。
現在は国際航空宇宙展と名を改める
このほか、日本の旧陸海軍機も含め、8か国の航空機や技術が展示され、航空ファンが殺到しました。

その来場者数は凄まじく、初日だけで約23万人、会期9日間で延べ48万人が訪れたとされています。また当時を知る知人の話では、 「すごい人波で大混乱していた」「アメリカ軍のパイロットと話せる貴重な体験だった」と話していました。 当時、MiG-25事件の影響もあり、多くの人々が日本の次期戦闘機に大きな期待を寄せていたことがうかがえます。
多くの人々を熱狂させた国際航空宇宙ショーですが、1979年に第6回(入間基地)、1983年に第7回(岐阜基地)が開催されたのを最後に、開催は一時途絶えます。8年後の1991年に復活した第8回は、幕張メッセにて完全な室内展示会として開催されました。
これは航空自衛隊の基地や飛行場を長期間にわたって展示会場として使用することが難しくなったこと、また、出展企業側が航空ショー形式よりも、商談に適した見本市形式を望むようになったことが主な理由とされています。
その後、名称も「国際航空宇宙展」と改められ、派手な航空ショーは行われなくなったものの、業界関係者や専門家向けの展示会としての役割が強まり、出展企業の数も増加しました。
現在では3~5年ごとに開催されており、新型コロナウイルスの影響や東京オリンピックによる中断を挟みつつも、2024年10月には第16回国際航空宇宙展が開催されました。次回は2028年秋、東京での開催が予定されています。
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。
コメント