なぜ“クルマ好き”が集まるように? 首都高「大黒PA」最初は“全く違う聖地”だった!? 目玉の施設がどうでもよくなったワケ

首都高の大黒PAは、今や世界中からクルマ好きが集まる観光地です。しかし、開業当初は今とは全く違うスポットとして期待されていました。当初の姿が“変容”した、その過程を振り返ります。

大黒PAは当初から「鑑賞する場所」 ただ対象は違う…?

 神奈川県横浜市に位置する首都高速道路の「大黒パーキングエリア(PA)」は、首都高最大のPA施設です。その一方、都心エリアにおいて愛車と共に気軽に集まれる立地条件から、クルマ好きの“聖地”としても知られ、週末や深夜ともなれば、カスタムカーや高級車、希少車などがずらりと並びます。

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大黒PAは当初“デートスポット”だった!?(画像:写真AC)

 近年、大黒PAのこうしたカルチャー的な側面は、海外でも有名になりつつあります。海外では日本を舞台にした映画やゲームの影響もあってか、日本のスポーツカーやクラシックカーの人気が上昇中。派手な改造車やレアな車両を見るために、日本と日本車が好きな外国人観光客が“観光スポット”として大黒PAに訪れるケースも増えています。

 とはいえ歴史を振り返ってみれば、大黒PAが最初からクルマ好きの聖地だったわけではありません。大黒PAは元々、1989年の横浜ベイブリッジ開通にあわせて誕生したPA施設でした。

 横浜ベイブリッジを含む首都高湾岸線は、1970年代から90年代にかけて整備された路線です。経済成長の著しい昭和の時代、首都高速道路は路線網の拡張を続けていました。今では当たり前に通行している湾岸線も、横浜・大黒ふ頭から千葉方面までつながったのは、わずか30年ほど前の1994(平成6)年です。

 そんな大黒PAの完成当初の特徴は、開通したばかりの横浜ベイブリッジを、展望テラスから一望できたことです。横浜ベイブリッジは橋の下を大型船舶が通るため、橋げたは海面から55mもの高さにあり、美しく壮大な景観を作り出しています。展望テラスは今も大黒PAのトイレの上に残っていますが、元々は横浜ベイブリッジを鑑賞するための場所だったのです。

 さらに、大黒PAにはパーキングエリアとしては珍しい2階建ての建物エリアが設けられ、大型ショップやフードコートが出店していたのもポイントでした。建物エリアではショッピングやグルメを楽しみ、展望テラスではベイブリッジの美しい景色を恋人と眺める。オープン当初の大黒PAは、そんな“カップル向けの観光スポット”としての利用が期待されていたのです。

【昔はムードがあった?】これが現在の「大黒PAからの夜景」です(写真で見る)

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