「確執」の歴史? 東武と京成の乗換駅「名前バラバラ」の謎 どっちが由緒正しいのか

東武伊勢崎線の牛田駅と京成本線の京成関屋駅は、乗り換えが簡単な至近距離にありますが駅名が全く違います。なぜでしょうか。路線と地名の歴史を遡って考えます。

名前を揃えた乗換駅もあった

 全国には駅名の異なる乗換駅が数多くあります。ピンポイントな地名・施設名を採用する地下鉄駅などを除けば、首都圏では南越谷と新越谷、北朝霞と朝霞台、新八柱と八柱など同じ地名を採用した駅があります。ところが、目前にありながら全く違う名前を冠しているのが東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の「牛田駅」と京成本線の「京成関屋駅」です。

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京成の「京成関屋」駅を出ると目の前に東武「牛田」駅がある(編集部撮影)

 周辺には「千住関屋町」という地名はあるも、両駅の所在地は「千住曙町」。「牛田」と付く地名は見当たりません。駅名の由来について東武鉄道のウェブサイトには「むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにありましたが、いまでは駅名だけがその名残をとどめています」とあります。

 伊勢崎線北千住~吾妻橋(現・とうきょうスカイツリー)間が1902(明治35)年開業の歴史ある区間だから古風な名前というわけではありません。京成関屋駅の開業は1931(昭和6)年12月に上野線(現・京成本線)青砥~日暮里間とともに開業しましたが、牛田駅は翌1932(昭和7)年9月に新設された駅なのです。

 両社が異なる駅名を採用したのは、東武と京成のライバル関係が影響していると語られることがあります。確かに両社は1920年代に浅草進出をめぐり競い合い、京成が汚職事件を起こして足踏みする間に、東武は浅草雷門延伸を果たしました。

 浅草進出に挫折した京成は、田端~筑波間の免許を有する筑波高速度鉄道と合併し、同社の免許を転用して上野線日暮里~青砥間の建設に着手しました。しかし筑波高速度鉄道が京成の前に東武に売り込んでいたことが新たな遺恨となるなど、両社の関係は泥沼の様相でした。

 ところが1930年代に入ると両社の関係に変化が生じます。1931(昭和6)年5月に東武が浅草雷門に延伸、同年12月に京成上野線が開業して両社の東京市内乗り入れが実現すると、東武は業平橋(現・とうきょうスカイツリー)~曳舟間に「請地(うけじ)駅」、京成は押上~京成曳舟間に「京成請地駅」を新設し、両路線の乗換駅としました。

 請地駅は東武が1931(昭和6)年5月、京成が翌1932(昭和7)年9月に開業しており、牛田・京成関屋と順番が逆なのは興味深いところですが、これら4駅はむしろ、両社の関係が対立から協調へ変化する象徴だったといえるでしょう。しかし、これだけでは牛田と関屋が異なる駅名となった理由を説明できません。むしろ請地は同じだっただけに疑問が膨らみます。

【ちゃんと由緒がある!】これが「牛田」と「関屋」の境界です(古地図)

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コメント

3件のコメント

  1. JRの原宿駅もメトロは明治神宮前駅で、駅名が全く違ってた

    最近は()付けでメトロの方に原宿と書かれてるけど

  2. 一応似た名前にしてるからいいじゃないですか、、

    関西なんてJR、私鉄、メトロそれぞれバラバラですよ

    大阪駅からして最近ようやく私鉄が寄せたけど、未だに違うし

    かと思えば全然違う場所なのに同じ駅名の時もあるから罠だらけ

  3. ひと昔前ならJRの東神奈川と京急の仲木戸もそうでした(現在は京急が京急東神奈川に改名)

    逆に一緒だったのに変えたのが雑餉隈(ざっしょのくま)で西鉄は現在もそのままで、国鉄が電化した際は雑餉隈だったものの、地名的に分かりにくいのとイメージが悪いとかで南福岡に改名したと聞いた気がします