「確執」の歴史? 東武と京成の乗換駅「名前バラバラ」の謎 どっちが由緒正しいのか

東武伊勢崎線の牛田駅と京成本線の京成関屋駅は、乗り換えが簡単な至近距離にありますが駅名が全く違います。なぜでしょうか。路線と地名の歴史を遡って考えます。

歴史ある地名の牛田に対し関屋は…

 牛田と関屋の土地の成り立ちを遡って見ていきましょう。足立区が1982(昭和57)年に発行した『足立区町名のうつりかわり』によれば、「牛田」とは元々、古隅田川南側の地域を指す言葉でした。

 1888(明治22)年の市制町村制導入後の地名を見ても、北千住駅東口から隅田川まで「字(小地域を指す地名)」に「牛田」を含む地域は広範囲にわたっていることが分かります。「牛田圦」も古隅田川につながる用水を指していたようです。

 そんな歴史ある牛田の名は、千住周辺が東京市の市街地に組み込まれる過程で消えていきます。千住町は1931(昭和6)年元日をもって字名地番整理を実施し、かつて牛田の中心地だった区域に「曙町」、隣接して「関屋町」を設置しました。「曙」とは千住町の最東端にあり、暁を迎える最初の地であることに由来します。

 翌1932(昭和7)年10月、東京市は近隣5郡を編入し、現在の東京23区とほぼ同じ範囲の35区体制となります。南足立郡千住町は「足立区」に、曙町と関屋町は「千住曙町」と「千住関屋町」になりました。

「関屋」は江戸時代に存在した関屋天神に由来しており、かつては隅田川沿いの景勝地として有名な土地でしたが、近代以降、特に関東大震災後は地盤沈下で荒廃していました。東京市への編入にあたり地理的位置と水運・陸運の利便性が注目され、隅田川の浚渫土(川底から掘り出された土砂)を用いて埋め立て、工業地として開発する構想が浮上します。

 関屋の埋め立ては足立区最初の土地区画整理事業として1936(昭和11)年に事業化しますが、構想は1931(昭和6)年の段階で既にあったと思われます。京成としては旧名の牛田や所在地の曙町ではなく、これから開発される関屋町の玄関口と位置付けたかったのではないでしょうか。

 京成は同時期、上野線日暮里~上野間建設工事の掘削土で千住緑町付近を埋め立て、西千住駅を設置(1943年休止、1947年廃止)したうえで住宅地として分譲しています。京成が関屋の区画整理に関わった記録はありませんが、隅田川沿いの開発計画に期待していたことは確かです。

 一方、東武にとってこの地は長らく「牛田」でした。『東武鉄道六十五年史』によれば北千住~久喜間の建設にあたり、「南足立郡千住町牛田地内隅田河岸」から北千住駅まで1.2kmの仮線を設置し、建設資材を運搬したとあります。

 地元にとっても、改称したばかりの(しかも変に気取った)「曙町」ではなく、牛田の方が馴染み深いという思いはあったでしょう。新時代の関屋を向いた京成に対し、歴史ある牛田の集落に向いた東武が「牛田駅」を選択したのは自然なことだったのかもしれません。

【ちゃんと由緒がある!】これが「牛田」と「関屋」の境界です(古地図)

Writer:

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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コメント

3件のコメント

  1. JRの原宿駅もメトロは明治神宮前駅で、駅名が全く違ってた

    最近は()付けでメトロの方に原宿と書かれてるけど

  2. 一応似た名前にしてるからいいじゃないですか、、

    関西なんてJR、私鉄、メトロそれぞれバラバラですよ

    大阪駅からして最近ようやく私鉄が寄せたけど、未だに違うし

    かと思えば全然違う場所なのに同じ駅名の時もあるから罠だらけ

  3. ひと昔前ならJRの東神奈川と京急の仲木戸もそうでした(現在は京急が京急東神奈川に改名)

    逆に一緒だったのに変えたのが雑餉隈(ざっしょのくま)で西鉄は現在もそのままで、国鉄が電化した際は雑餉隈だったものの、地名的に分かりにくいのとイメージが悪いとかで南福岡に改名したと聞いた気がします