「臨時列車は設定できない」のに名古屋から直通実現!? 「奇跡のローカル線」がまた起こした奇跡とは 名松線が沸いた!

2025年12月7日、JR名松線の全線開業90周年記念イベントが開催されました。臨時列車を設定できないはずの同線に名古屋からの直通列車が走るなど、まさに「奇跡」の連続となった当日の様子と、その背景にある住民の熱い思いに迫ります。

「臨時列車は設定できない」のに名古屋から直通!?

 2025年12月7日、三重県を走るJR名松線の全線開業90周年を記念する事業として「第7回終着駅サミット」が終点の伊勢奥津駅(津市)で開催され、大変な賑わいとなりました。

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初入線したキハ75。津市の前葉市長と津クイーン河合亜美さんが出発合図(原田浩二撮影)

 この日は、松阪の駅弁屋「あら竹」が企画した団体貸切ツアーに加え、快速「みえ」に使用されているキハ75形気動車が、名古屋から直通しました。

 伊勢奥津駅では復元改修されたSL時代の給水塔がお披露目されたほか、地元白山高校美術部がデザインした全線開業90周年記念ヘッドマークをつけた列車が走行するなど、鉄道ファンが色めく企画が実現しました。地域の有志は線路から離れた私有地に材木でプラットホームのようなやぐらを組み、1日限りの「伊勢小原駅」を設置して列車に手を振るという熱烈ぶりでした。

 名松線は、松阪~伊勢奥津間43.5kmを結ぶ非電化単線路線で、途中で列車の行き違いができるのは中間の家城(いえき)駅しかありません。そのため定期列車以外に増発できず、臨時列車は設定できません。

 今回のようなツアーが実現した背景には、JR東海の全面的な協力がありました。定期列車に1両を増結して貸切扱いとしたり、車両運用を変更して名古屋から直通させたキハ75形を定期列車のキハ11形と差し替えたりして実現した奇跡的な運用なのです。この企画は大成功を収め、両列車とも立つ場所に困るほどの賑わいとなりました。

「奇跡の名松線」と呼ばれるワケ

 名松線は当初、国(鉄道省)が名張と松阪を結ぶ計画で建設を進め、1935(昭和10)年に松阪~伊勢奥津間が開通しました。しかし、その5年前に現在の近鉄線が開通したため、伊勢奥津~名張間は建設されませんでした。

 路線が途中で止まったため利用は少なく、災害や廃線の危機もありましたが、赤字ローカル線の廃止が叫ばれた国鉄末期には、路線長が長く並行道路が整備されていないため廃止対象線区とならず、JR東海に引き継がれました。ここまででも奇跡ですが、さらに危機が襲いかかります。

 2009年10月、台風18号による土砂崩れと路盤流出で家城~伊勢奥津間が不通となります。一時は廃線も想定されましたが、住民の熱心な存続運動により復旧が決定。約17億円の費用と6年半をかけて三重県が治山、津市が水路整備、JR東海も復旧工事を進め、2016年3月に全線が復旧しました。何度も危機を乗り越えたため「奇跡の名松線」と呼ばれるのです。

【こ、これがあの「名松線」なのか…】超盛り上がりだった様子!(路線図/写真)

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