台湾の鍾乳洞の奥地で新発見された「旧日本兵の生々しい“落書き”」を見てきた 切羽詰まった“最後の叫び”とは?
台湾南部の高雄市にある鍾乳洞で、太平洋戦争末期、空襲から逃れた兵士たちが遺したとみられる生々しい痕跡が見つかりました。切羽詰まった状況を伝える、静かな証拠です。
太平洋戦争末期、台湾屈指の空襲を受けた高雄に残る「猩猩洞」
台湾全土の中でも特に親日的な感情を持つ人が多いと言われる南部の大都市・高雄は、日本統治時代に「南進政策」の重要拠点となり、軍港や軍事関連施設の重要機関が集中して建設されたエリアです。
その高雄市に隣接する寿山(柴山とも)の中に、2020年代に一般公開された4つの鍾乳洞があります。このうちの一つ「猩猩洞(Orangutan Cave)」という鍾乳洞の中には、旧日本兵による「落書き」が生々しく遺っていました。
「鍾乳石や石筍(せきじゅん)が、ゴリラやオランウータンに似ている」とされ名付けられたこの鍾乳洞は、近年まで自然の地質や生態系を保護するため、立ち入りが厳しく制限されていました。しかし2020年代より規制が緩和され、寿山の管理当局に事前申請をし、資格を持つガイドが同行することで一般人でも入ることができるようになりました。
この「猩猩洞」が公開されたことで同時に発見されたのが、鍾乳洞内の壁に掘られた旧日本兵たちによる「落書き」です。
日本統治時代の高雄は軍事関連施設が数多くあったことから、1944年から1945年にかけて米軍からの大規模な空襲を受けることにもなりました。その爆弾の数は約2500トン以上とも言われ、高雄エリア全体で死者1600名以上を出し、軍事関連施設だけでなく、多くの家屋が全半壊しました。
この被害から逃れるため、高雄エリアには防空壕などが急ピッチで掘られたことも知られていますが、一部の人たちが防空壕代わりに使ったのが、この「猩猩洞」をはじめとする鍾乳洞でもあったようです。
草むらの向こうに鍾乳洞の小さな入り口が
今回「猩猩洞」を案内してくれたのは、台湾の学⽣向けの社会科⾒学などを企画引率し、⼀般に対しては歴史的遺構を案内する活動をする寿山・洞窟保護員の孟憲徳さんです。元中華民国軍人でもある孟さんは体力があり、こういった自然・歴史散策にとてもアクティブです。
「鍾乳洞まではそんなに遠くはないですよ」と流暢な日本語を話しながら、寿山をどんどん登っていきます。その寿山の中腹に差し掛かった草むらの向こうに小さな穴が見えてきました。ここが近年、規制が緩和された「猩猩洞」です。





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