相互直通する総武線と中央線の境目ってドコ? 都心の駅にポツンと立つ「0書きの杭」震災を乗り越えた鉄道史

中央線と総武線が立体的に交差するJR御茶ノ水駅。各駅停車ホームの線路際をよく見ると、起点を示す「0kmポスト」が立っています。かつてはここが総武本線の終着駅、いわば「東京の東の玄関口」だった時代がありました。

2020年に消えた「始発駅の面影」と0kmポストの意義

 延伸は、ほかの路線との乗り継ぎも考慮され、秋葉原より先の御茶ノ水までに変更されます。延伸部分は1932(昭和7)年に完成し、総武本線と中央本線を乗り継いで東京の東部から西部へと横断することが可能となりました。また、同時に起点が両国(両国橋から改称)から御茶ノ水に変更されました。

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JR御茶ノ水駅(画像:写真AC)。

 当初、総武本線の電車は御茶ノ水止まりで運転され、当駅で中央線の電車へ乗り換えるという形でしたが、乗客の利便性を考え、翌1933(昭和8)年からは総武本線から電車が中央本線へ乗り入れ、船橋から中野まで直通運転されるようになりました。ここで運転上は始発・終着駅ではなく「途中駅」という扱いが始まります。

 1972(昭和47)年に総武本線が津田沼まで複々線化され、快速線が東京駅へ乗り入れるようになると、今度はこちらが本線となり、快速線との分岐駅となる錦糸町から御茶ノ水までの区間は支線として分離され、このとき御茶ノ水は起点から支線の終点(起点は錦糸町)へと変わりました。

 そして、初電・終電近くの早朝・深夜帯でわずかに設定されていた御茶ノ水止まり・始発の電車が2020(令和2)年3月のダイヤ改正で消滅すると、現在のような「0kmポストがあるけど運転上は途中駅」という形になったのです。

 御茶ノ水駅の0kmポストは見過ごされがちですが、総武本線の歴史を示す記念碑的な存在です。また、ここを境に「総武緩行線(各駅停車)」と「中央緩行線(各駅停車)」が切り替わるということも、覚えておいて損はないでしょう。

【写真】これが御茶ノ水駅にある「0書きの杭」です

Writer:

ゲーム誌の編集を経て独立。航空宇宙、鉄道、ミリタリーを中心としつつ、近代建築、民俗学(宮崎民俗学会員)、アニメの分野でも活動する。2019年にシリーズが終了したレッドブル・エアレースでは公式ガイドブックを担当し、競技面をはじめ機体構造の考察など、造詣の深さにおいては日本屈指。

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