東急池上線はなぜ「くの字」なのか? カギを握った寺と池 幻の目黒発「しの字」が現行ルートに変化したワケ

東急池上線は、東京の五反田と蒲田を結ぶ路線ですが、改めて見ると特異なルートをたどっています。そもそも、当初の計画は全く異なるものでした。

遠くまでの路線拡大計画も幻に

 池上電気鉄道の被害はわずかでしたが、震災を機に東京市の郊外化が一段と加速します。同年3月に目黒蒲田電鉄(後の東急電鉄)が目黒~丸子(現・沼部)間、11月に沼部~蒲田間を開業させ、目黒~蒲田間に並行路線が開通してしまいました。

 先を越された池上電気鉄道は都心側ターミナルを五反田に変更することになり、1925(大正13)年4月に認可を得ました。同年10月には東京川崎財閥が出資し、都心側の工事を再開。1927(昭和2)年8月に雪ヶ谷~桐ヶ谷間、同年10月に桐ヶ谷~大崎広小路間、1928(昭和3)年6月に大崎広小路~五反田間が開通し、ようやく山手線に到達します(桐ヶ谷駅は大崎広小路~戸越銀座間にかつて存在。1945年休止、1953年廃止)。

 目蒲線(現・目黒線・東急多摩川線)に閉じ込められた形の池上線ですが、川崎財閥の資金力を背景に路線拡大を企図し、五反田~白金間、五反田~品川間、雪ヶ谷~国分寺間、池上~荏原中延間の免許を取得しています。

 このうち雪ヶ谷~国分寺間の一部として、1928(昭和3)年10月に新奥沢線(雪ヶ谷~新奥沢)1.6kmを開業しますが、目黒蒲田電鉄はすでに大井町~二子玉川間に大井町線を建設しており、目蒲線を乗り越えることはできませんでした。

 それでも同社にはもう一つ、山手線内への乗り入れという秘策がありました。池上線の五反田駅が山手線をまたぐのは、白金・品川方面への延伸に備えたものでしたが、昭和初期といえば昭和金融恐慌、世界恐慌の影響で鉄道利用が大きく落ち込んだ時期です。

 新線建設の資金調達が困難になった上、国が私鉄間の過当競争を問題視したことから、大正時代までの建設のペースは一気に鈍化。特に並行する目蒲線、池上線は統合・合理化すべきとの声が高まり、1934(昭和9)年10月に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に吸収合併されました。

 合併を前に五反田~白金間の免許は失効し、合併翌年には新奥沢線が廃止されます。戦後、池上線経由で地下鉄と田園都市線の直通運転を行う構想もありましたが、結局どれも実現せず、池上線は今も3両編成でのんびりと走り続けています。

【しの字】これが池上線の当初計画ルートです(地図)

Writer:

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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