快速通過でも「7年連続」No.1! 千葉で利用者数トップを誇る総武線駅はなぜ「覚醒」したか 下剋上の半世紀
JR西船橋駅の利用者数は、開業当初は少なく、隣の船橋駅と比べると大きな差がありました。しかし現在は僅差で上回るまでに。なぜ西船橋駅はここまで大きく発展したのでしょうか。
快速開業後から本当のポテンシャルを発揮
重要拠点となった西船橋ですが、総武快速線のホームは設置されず、代わりに市川・下総中山・船橋・津田沼を集約した貨物取扱い設備が置かれました(1986年廃止)。
快速ホームは複々線化が決定した1965年頃に、ラッシュ1時間の乗降または降車人員が5000人を超えていた駅に設置されました。タイミングが悪かった形ですが、利用者数だけが理由というわけでもありません。
快速はボリュームの大きい主要駅の利用者、各駅停車は小規模駅の利用者を細かく拾っていき混雑率を平準化します。東西線直通列車は西船橋~津田沼間の利用者の一部を吸収することで、快速・各駅停車の混雑率を引き下げる役割を担います。
そのため西船橋に快速を停車させると、乗客の分離ができないとの判断があったのでしょうが、計画時は貨物線だった武蔵野線・京葉線が旅客化されたことで、乗り換えの不便がクローズアップされてしまったのです。
西船橋駅は東西線の開業以降、急速に発展していきます。そのカギを握ったのは「橋上駅」という跨線橋と駅舎を一体化させた構造です。駅が開業した1950年代、千葉街道に面する北口こそ民家が並んでいましたが、南口は水田が広がっていました。通常であれば北口に駅舎を設置するところですが、当時としては珍しい橋上駅としたことで南口からもアクセスできるようになりました。
南口には1970年代後半から団地、学校、工場、物流施設の進出が本格化します。1980年度から1987年度の乗車人員は、船橋が約12.9万人から約13.9万人なのに対し、西船橋は約7.8万人から約11.8万人へ大幅に増加しました。
しかしバブル崩壊とともに定期利用は急激に縮小し、2000(平成12)年度の乗車人員は船橋が約13.2万人、西船橋は約10.6万人まで減少します。そのまましばらく停滞しますが、2007年度に「異変」が起きます。西船橋の乗車人員が前年から1.5万人、14%も増加したのです。
これは同年のPASMO導入に伴い西船橋駅構内をJRと東京メトロに完全分離した影響で、実際に突然利用者が増えたわけではありません。乗車経路が明確になったことで、本来の利用者数が明らかになったのです。これにより船橋と西船橋の差は約1.2万人まで縮まりました。
その後、乗車人員が横ばいの船橋駅に対し、西船橋駅は2007(平成19)年度から10年間で1.4万人を積み上げ、その差は1000人を割りました。そして2018(平成30)年度、ついに西船橋が上回り、同時に千葉県で最も利用者の多い駅になりました。
冒頭に記したように、西船橋駅はコロナ禍以降も現在まで7年連続で1000人以下の差でトップを守り続けています。“ニシフナ”の時代は今後も続くでしょうか。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





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