東京の“満員電車”は避けられた? 幻の「首都改造計画」が描いた未来 実現したら私鉄はなかった?
大阪では府と市の二重行政解消を目的とした「都構想」がたびたび争点になりますが、かつての東京府と東京市は戦時下の1943年、「東京都」に統合されました。その背景には「防空」を目的とした壮大な都市計画がありました。
構想がもし実現していたら…?
この計画は戦争の激化で実現しませんでしたが、思想そのものは戦前からの問題意識に立っていたため、空地を緑地に置き換える形で戦後の復興計画に引き継がれています。実際、東京の戦災復興計画を推進したのは、1943年に東京都技監付に就任した都市計画家の石川栄耀です。
戦災復興計画では「大綱」を引き継ぎ、東京に必要のない機能を東京40km圏内の衛星都市に分散させることで人口の過大集中を避け、東京と各衛星都市間の交通連絡網を整備。その中間地帯を農業地域とするとしています。
しかしこの計画も急速な人口増加と予算不足でほとんど実現しませんでした。緑地帯予定地を戦争末期に食糧生産の農地として使用したことで農地解放の対象となり、その6割を失ったため、緑地計画は大幅に縮小してしまいました。
終戦時の東京区部の人口は300万人以下に減少しており、これを最大でも500万人程度に収める目標でしたが、復興計画が進まないまま人口流入が進み、1950(昭和25)年に500万人を突破。以降は戦前を上回るペースで増えていきます。郊外と都心をつなぐ鉄道各線の利用者数もうなぎ上りで、増発、長編成化、複々線化が進みました。
市街地拡大の圧力に耐えきれず、1965(昭和40)年の首都圏整備法改正でグリーンベルトの開発制限が撤廃され、「秩序ある市街化」を進める「近郊整備地域」へと変わりました。これら地域では住宅不足解消のため団地の建設が進み、東京都市圏の拡大が決定的なものになりました。
当初の構想通り東京の人口抑制、都市機能分散が成功したら、都心の輸送機関は国鉄と地下鉄、都心と衛星都市の輸送は国鉄と私鉄が担い、郊外輸送のウェイトはかなり小さくなっていたかもしれません。
そうなると私鉄の鉄道経営が厳しくなるため、鉄道事業者の統合・統制が進み、最終的には国電区間(東京近郊区間)、地下鉄と合併した公的な都市交通事業者が誕生したでしょう。言い換えれば、東京のあり方が変われば日本の私鉄経営も大きく変わっていたといえそうです。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





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