「駅弁は列車の窓から買って!」の呼び掛けなぜ? “生存競争の的”にも“非日常のご馳走”にもなった駅弁140年史

駅弁は日本特有の鉄道文化といわれています。その起源は1885年に宇都宮駅で売られた握り飯が定説ですが、諸説あり、鉄道の発展とともに独自の文化を築いてきました。

始まりは「始発駅」だった

 駅弁は日本特有の鉄道文化といわれています。最初の駅弁は1885(明治18)年7月に宇都宮駅近くの旅館白木屋が、握り飯二つとたくあんを竹の皮で包んで販売したものというのが定説です。

Large 20260530 01

拡大画像

列車内で食べる弁当のイメージ(画像:写真AC)

 一方で、1878(明治10)年の東海道本線大阪~神戸間開業時の神戸駅、1883(明治15)年の日本鉄道(現・東北本線)開業時の上野駅や、北陸本線敦賀延伸開業時の敦賀駅で弁当が販売されたという説もあります。移動と食事は表裏の関係なので、公式・非公式問わず駅で弁当が供給された事例は、全国で同時多発的にあったと考えるのが自然でしょう。

 共通点は始発駅です。上述のように神戸・上野・敦賀は列車の始発駅であり、宇都宮も短期間ながら東北本線の始発駅となっています。開業から1年弱は連絡船で利根川を渡っていたので、食事サービスが必要だったのです。

 幕の内弁当形式の駅弁は1888(明治21)年、山陽鉄道(現・山陽本線)兵庫~姫路間の開業にあたり、料亭「まねき」が姫路駅で販売したものが最初です。内容を見てみると鯛の塩焼き、伊達巻き、焼きかまぼこ、出汁巻き卵、大豆昆布煮付けなどのおかずと、黒ごまをふった白飯という想像以上に豪華な内容です。

 まねきの駅弁進出は、山陽鉄道が乗客への弁当・お茶の供給を相談したことがきっかけでした。宇都宮駅の「駅弁」も日本鉄道の依頼で始まったものでしたが、駅周辺があまりに未開発で、列車本数も少なかったため、白木屋の主人は乗り気ではなかったそうです。

 つまり最初期の駅弁は、鉄道事業者の要望で長距離旅客に提供されるものであり、始発駅周辺の旅館・飲食店に製造を依頼する形で誕生したことが分かります。ただ当時から駅弁は高価で、利益率が高かったため、鉄道利用者の増加とともに駅弁事業者は数を増やしていきました。

 1890年代に鉄道ネットワークが拡大し、長距離旅行が一般化すると、駅弁は始発駅だけでなく、主要駅や機関車の付け替えや給炭、給水を行う停車時間の長い駅でも積極的に売られるようになりました。駅弁は単に空腹を満たすだけでなく、旅行という非日常の特別なものへと変わっていきます。

 例えば明治後期には、静岡駅の「鯛めし」、山北駅の「鮎鮨」などが名物駅弁として知られており、大船駅の「サンドウヰツチ」や静岡駅の「西洋弁当」など洋風メニューも登場。また、土浦駅の「鰻丼」、豊橋駅の「うなぎ飯」、富山駅の「ますすし」、豊橋駅の「稲荷寿司」、宮島口駅の「あなごめし」などの地域性を反映した弁当も登場しました。

【日本だけじゃない!】台湾の駅弁を見る(写真)

最新記事

コメント

記事ランキング

  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  3. “まるで高速”な無料バイパス「全線4車線化」へ変貌開始! 一部の上下線分離まもなく 対面通行を解消 国道8号
  4. 飛行中の「日の丸特別機」に粋なサプライズ! 天皇皇后両陛下を“最新ステルス戦闘機”がお出迎え
  5. ETCの手前で「ガシャン!」高速入口に吊るされた「黄色い鎖」の正体は? 傷つく覚悟で“あえてぶつける”超アナログな理由
  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. あと1年足らずで「現金でバス乗れなくなります」 全路線“完全キャッシュレス化”疑問に応えるサイト開設 京王バス
  3. ETCの手前で「ガシャン!」高速入口に吊るされた「黄色い鎖」の正体は? 傷つく覚悟で“あえてぶつける”超アナログな理由
  4. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  5. 「“再有料化”でいいから4車線化して」→普通車280円になって1年 利用者負担で勝ち取った“効果”あきらかに 八木山バイパス