「全線の半分10000kmを廃止せよ」 国鉄の末路を的確に予見した“過激勧告”の中身 「借金37兆円破綻」は防げたか?
国鉄が破綻する約20年前、あるシンクタンクが「全線の半分を廃止せよ」という過激な提言を行いました。モータリゼーションが進む中で発表された、国鉄改革案の中身を見ていきます。
まだ間に合った? 約60年前の「国鉄改革案」
国鉄の37年の歴史の中で、黒字を計上したのは1950、1953、1957~1963年度の8年間だけでした。最終的に約37兆円の長期債務を背負って破綻しますが、経営が本格的に傾き始めたのは1960年代後半のことです。
赤字体質の国鉄を改革すべきとの議論は古くから存在しました。例えば、阪急電鉄の創始者・小林一三と東急グループの創始者・五島慶太は官による経営は非合理的として、1950年代に国鉄の分割民営化を主張しています。
また、戦後の電力事業の分割民営化を主導し「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門が設立したシンクタンク「産業計画会議」は、1958(昭和33)年の勧告で「国鉄は根本的整備が必要」として、国鉄を全国数個のブロックに分け、それぞれ独立した特殊会社とすることを提言しました。
そして今回、紹介したいのは、同じく産業計画会議が10年後の1968(昭和43)年に発表した勧告「国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ 国鉄問題に関する第2次勧告」です。
1966(昭和41)年度の国鉄は7939億円の収入に対し、601億円の赤字でした。長期債務残高1兆3700億円、利子及び諸費は収入の1割以上にあたる約835億円という看過できない額になっていました。
一般企業であれば破産状態ですが、後の惨状を思えばまだ間に合うタイミングでした。しかし、だからこそ危機感を共有できない、そのような中で発表された産業計画会議の勧告を見ていきましょう。
勧告が前提とするのは「鉄道万能時代の終焉(しゅうえん)」です。日本の鉄道が発展、拡大した明治・大正期は鉄道が唯一の近代的交通機関でした。そのため赤字線区の維持や社会政策的な割引にも合理性がありました。
しかしバスやトラックなど商用車から自動車の普及が始まり、1960年代には自家用車の大衆化が本格化します。また、ジェット旅客機の登場による航空輸送の大量化、大衆化が進むなど、距離帯ごとに輸送機関の役割分担が明確化しました。勧告はこれを「輸送革命」と呼んでいます。
最初に影響が現れたのは貨物です。鉄道貨物のシェアは国鉄発足時に5割以上ありましたが、モータリゼーションの進展で1960年代後半には3割程度になっていました。貨物鉄道の輸送時間のうち走っているのは2割、平均速度にすると10km/h程度であり、トラックによる少量多頻度輸送にシェアを奪われていました。





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