人命軽視は風評被害? 零戦の評価の分かれ目「防弾板」、その実際のところとは

「防弾板」の有無で評価ができないワケ

 確かに零戦は防弾板を搭載していませんでした。しかしこれはけっして性能を重視したためでも、人命軽視のためでもありません。ただ単に零戦の開発が始まった1937(昭和12)年の時点において、防弾板の必要性については世界的に認知度が低かっただけにすぎず、ほぼ同時期に開発された他国の戦闘機も、一部を除いてほとんど搭載していませんでした。

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零戦を操縦するパイロットの柳田さん。アメリカ在住であり、昔から零戦のパイロットになることが夢であったという(関 賢太郎撮影)。

 戦闘機における墜落要因の多くは火災です。零戦はそのぜい弱というイメージとは反対に、設計時から胴体内燃料タンクの火災を食い止める消火器の搭載が要求されており、事実、最初のタイプからこれを搭載しています。後期型では比較的被弾する可能性の高い主翼内タンクにも設けられ、実際被弾して発火しても帰還が可能であったと言われます(ただしこれは火災で戦死した人は証言を残せないことを考慮する必要があります)。

 第二次世界大戦がはじまると、各国は戦闘機における防弾板の必要性について検討しなくてはならなくなり、それは帝国海軍もまた例外ではありませんでした。ところが1942(昭和17)年ごろまで日本側はまだ勢いがあり、敵味方の航空機の数もほぼ同等、そして帝国海軍は零戦が圧倒的に勝っていると思い込んでいたので(実際は撃墜の誤認が多く勝敗は僅差でした)、「公式的には」この時点において空戦による戦死者、特にパイロットに銃弾が直撃し負傷したと想定される墜落はそれほど多くはありませんでした。よって防弾板の導入が急がれることはなかったのです。むしろ主戦場であった赤道付近に蔓延する病気による被害のほうが深刻で、特にマラリアはパプアニューギニアやラバウルなどの飛行場に配備されたパイロットのほぼ全員が罹患していました。

 1944(昭和19)年頃になるとアメリカ側の反抗がはじまり、ようやく零戦にも防弾板が搭載されるようになりますが、もはやこの時点において戦争に勝つすべはなくなっており、防弾板の有無などは些細な差でしかありませんでした。

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コメント

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36件のコメント

  1. 休日デモに航空イベント、護衛艦の公開とか、いい加減に先を詠まれる集会やめたら?

  2. なるほど!勉強になりました。
    零戦は世界に誇れる歴史的遺産だと思いますが、
    熊本城と零戦の話も話題になっていますね。

  3. 人名軽視は風評でも無いのでは? 被弾に弱かったのは確かだし、しかも軽量化のしすぎで機体強度が足りずに急降下速度も落ちているため、F4F相手でも苦戦するようになったし。

    • 当時、零戦に限らず96陸攻、一式陸攻、99艦爆、97艦攻も防弾装備が有りませんでした。隼や、鍾馗は装備していましたが、7.7㎜防御のため事実上機体の重量が増加しただけで、効果は有りませんでした。相手国の実験で証明されています。

    • その通りで機体構造の脆弱さから銃弾を受けるとバラバラになってしまうケースが多かったとも言われていて確かに防弾だけしても仕方ないと思います。ただエンジンの馬力が不足してたので仕方なかったんでしょう

  4. そんなに戦争が好きですか?

    • ここでは零戦は別に人命軽視されたコスト削減機ではないという話をしているのに
      なぜそこで戦争が好きか否かの話になるのか理解できない。

    • まあ、南極観測船宗谷なんて民間船当時に戦下で運良く魚雷を逃れた運の良さを買われて改造されたと聞いたし、氷川丸も医療船だったり各々悲しくも嬉しい歴史を知るには保存は大切だと思うよ、

    • 零戦を貶さない=戦争大好き と判断するとはずいぶんと頭がいいですね(共産党的に)

    • そんなになぶり殺しにされるのが好きですか?
      自分はそれでよくても、家族や友人など親しい人がそんな目にあっている状況も黙って見ていられるのですか?
      抵抗するにも武力は必要です…
      救うためには勝たねばなりません…
      勝つためには優れた技術が必要です…
      それがぶつかり合うのが戦争です…
      侵略や虐殺、略奪を"する"のが戦争ではありません
      むやみやたらに戦争反対を振りかざす人って、守りたい人もモノもない、守ってくれる人もいない寂しい人なのかな

  5. ドッグファイトで一番被弾率の高い主翼に燃料タンクを搭載するわ、軽量化のしすぎでカタログスペック以下の速度しか出せないわ、超長距離航行できるんだぜ!とか自動操縦システムないわオムツはかされてウンコシッコ垂れ流し状態で数時間操縦席にいなければならないわパラシュートはその座席の下にあるからウンコシッコ臭はんぱねぇわ、機関銃のサイズでか過ぎ&軽量化のし過ぎで台座がポンコツだから撃つたびに主翼がガタついてどこ撃ってんのあんた?状態になるわ、設計図は外国のボツ案戦闘機の設計図をコピーして日本製のポンコツエンジン乗せたもんだからどうやって改良したらいいのかもわからずわずか数年で他国の戦闘機にスペック&実戦においておいてきぼりにされる(残念ながら帰ってきたゼロ戦があまりにも少なすぎるため敵対国の帰ってきた人達の情報が元になっております^^;それほど無謀&故障&撃墜されている証拠です)わ・・・今にして考えれば狂気の沙汰としか思えない空飛ぶ棺桶にしか思えないんですよねコレ・・・

    • 無根拠過ぎるので勉強してきてください。

    • あんまりにも知らなさすぎます、勉強してきてください。

  6. 設計で炙り出せない不具合は試験飛行しかない!特に航空機は不具合が命取り!しかしそれを飛ぶ棺桶にしないためにも自ら試験飛行の操縦をかって出てて命を危険に晒してまで未知の開発に携わった試験飛行士が不幸にも試験飛行中に亡くなったりもしただろうに!開発者の悔やんでも悔やみきれない気持ちは計り知れないだろう!そうやって今の世の安全は削られた命の恩恵なんだよ!俺は航空の世界はよく分からんが、試験飛行だってそこそこ腕のたつ上官クラスが部下達の殺陣になってのことじゃなかったのかな?せっかく豊富な航空知識があっても飛ぶ棺桶なんて決して表現してはダメだ!

  7. 欧米の水準よりいつも低馬力のエンジンしか入手出来なかったから、軽量で対抗する以外策が無い。零戦に限らず他の日本軍機共通の悩みやね。排気量の大きさは出力を得る最大の要素だが、零戦の後継機に装備された「誉」みたいに少ない排気量から無理をすると耐久性や信頼性が犠牲になることは真理みたいなものだ。防弾版は戦前各国の主流になると想定されていた20ミリ銃に対して無意味だったので装備しなかったという話も見たことがあるが、出力に余裕があれば気休めでも装備は可能だろう。

  8. 正しく書き換えておきますね。

    ただ単に零戦の開発が始まった1937(昭和12)年の時点において、防弾板の必要性については[日本海軍において]認知度が低かっただけにすぎず、ほぼ同時期に開発された他国の戦闘機は、一部[の日本海軍の零戦]を除いてほとんどが搭載していました。[同時期に開発されていた陸軍の隼も1939年から防弾板を追加装備していました。]

  9. 開発スタートが零戦の2年後で出力に余裕があり、味方制圧地域上空の対爆撃機戦闘を想定した雷電は要求時点で防御の要求があり、量産機には防弾ガラスまで装備された。
    零戦に関して実戦部隊からの防御の要求もあったがそれほど優先的な話ではなく、炭酸ガスの消火装置で要求に応えていたのが実情。それより航続力や携行弾数の改善の方が大きかったようでそれに沿った改良型が22型や52型だったりする。
    零戦の根本的なパワーアップは金星エンジン装備の6X型まで持ち越され結局間に合わなかったけど、堀越氏の弁によれば、ユーザーに受け入れられることを優先して小型の瑞星や栄を想定したのが裏目に出たとも。
    排気量の大きな金星は零戦の開発スタート時でも入手は可能で、最初から金星ベースで実用化していれば零戦の陳腐化を遅らせることが出来たのではないかと残念に思う。しかし燃費に関して栄より悪いので若干大きな凡庸な飛行機になったかもしれない。

    • 実のところ、金星でも最終で1300馬力位しかない。(離昇出力1500馬力これは発進時の出力)技術力が決定的に不足していたのが現実です。

    • 今更ながらのコメントですが、よく言われる1500馬力金星って大戦後半に実用化されたモノで、それ以前の金星は栄より多少馬力あるけど重いというエンジンなんですよね。

      そのため最初から金星ってのは端から考えられないことなんです。

      また出力向上の本筋は52型丙?の頃に1300馬力の栄31型を搭載する予定だったのですが(隼3型と同じエンジン。このエンジンによって戦闘力を保ったのは有名でしょう)、それまで栄を生産していた中島は誉の生産で余裕がなく、石川島にて栄の転換生産を行いました(隼3型は立川飛行機だったかな?)

      その転換生産先で欠陥が見つかり、本来なら水メタ噴射で1300馬力を目指していた栄31型を水メタを搭載しない栄31型甲として生産しました。

      歴史のイフとして考えると、この転換生産が上手く行き1300馬力の零戦が完成していれば重くなった分をカバーして隼3型のように絶賛されたのでは、と常々思っております。

      蛇足ですが金星へのエンジン換装は金星の供給量に若干余裕があったというのが真相のようです。私も確たる証拠があるわけではないのですが、飛燕だけでなく首なし零戦というものがあったそうで、それなら載せられそうな別のエンジン載せちゃえ!と。

      日本の各エンジンの生産台数を調べますと、色々と考察できて面白いですよ。

  10. 0戦の人命軽視の欠点とか言う記事もありますが、問題外とおもいます。あのP51でさえ百里基地攻撃の帰りに日本の紫電改に追撃され、50発ほどの銃撃で飛び去る紫電改をなぜと思う私、しかしP51の方に
    目を向ければ,1機は火を吐きもう1機はスピードを落としカーブしながら海の中、その後乗務員の死体が
    漂着しましたが胴体の真ん中を撃ち抜かれ即死の状態、防御板などあまり役に立たない事をしりました。

    • あのね、直撃食らったらまずどんな飛行機でも無理よ。戦車ゃないんやから。戦車並の防弾鋼板着けたら重くてヨタヨタよ。陸戦でもそう。
      一番被害が出るのは確率的にも破片なんや。その破片を防ぐのが最重要。海軍のフネの砲塔も戦艦以外はほとんど破片防御しか機能ないよ。だから飛行機でも最低限の防弾しかしてないけど、仕方ないのよ。

  11. 零戦の主任設計者堀越二郎氏の著書「零戦」 カッパブックス昭和45年、 にこんな記述があります。
    昭和18年4月末に海軍航空本部が作った「将来の戦闘機計画上の参考事項」の中で、つぎのように言われている。
    「零戦は総合的性能概ね優秀にして、現状において南西方面に出現の米戦闘機F4Uに対して特に遜色を認めず。・・・戦闘機と言えども将来は、防弾を考慮するを要す。つまり、戦闘機と言えどもと言う言葉に端的に表れているように、防弾に憂き身をやつすより、防弾に費やす分だけでも重量を減らして運動性をよくし、攻撃力を増すほうが有利だったのだ。防弾の欠如は攻撃力を強めるという積極的な意味をもっていた。事実零戦に防弾が必要となったのはアメリカが圧倒的多数の大馬力の新鋭戦闘機を戦線に投入しはじめてからである。そのころはベテランパイロットの数も減り格闘戦をこなせることが出来なくなった背景がある。レイテ戦で七面鳥打ちなどと揶揄されるまでになる。

  12. パイロットの命を軽視しすぎた方が問題だろ。航続距離が長くても単座なら元々パイロットの負担が大きいのは目に見えてる。
    本当にいい戦闘機なら他国も真似してるはず、日本は大型エンジンと13ミリ機銃は真似したけど。

  13. 失礼ながら柳田邦男氏を始めとする各種丁寧な分析に基づいた著作を読んだ上での文章にはとても思えない。
    先人の分析を覆すにはこの文を格段に上回る丁寧な検証が必要と思います。
    貴殿の文章こそイメージ先行の予め結論ありきと感じますが、いかがですか?

  14. 何を寝言言うとるか。
    陸軍はノモンハンの戦訓から早期に防弾鋼板入れとるやろ。零戦は十二試艦戦時代はなくても制式化される昭和十五年より前やで。何より96陸攻の渡洋爆撃でも甚大な被害被っとるやろ。
    この手の評価はGHQと創作した陸軍悪玉海軍善玉論から抜け出てないぞ。頑迷やったんはむしろ海軍やったことを知れ。

    • 他の人が言っているように隼は防弾板付けてるしね
      かの坂井三郎は「こと戦闘機に関しては毎年新型機が出てくる陸軍がうらやましかった」って言ってたね

  15. 敵味方の損害報告をベースにまとめた梅本氏の著作「海軍零戦隊撃墜戦記」によれば
    1943年2月から、F4Fがソロモンから退場する8月4日までの空戦は
    零戦と若干数の隼159機の損害(内哨戒中の重爆と交戦し敵戦闘機と交戦してない損害は6機)に対して戦果、敵戦闘機162機(F4F(62機)、F4U(41機)、P-40(27機)、P-38(25機)、P-39(7機))+攻撃機40余り(他資料の錯綜により実在するかわからないF4Fの損害が数機がアリ)
    十分役割を果たしたといえるだろう。願わくばそこでF4Fとともに第一線から引くことを許せる後続機開発ができているべきだった。

    ところで、無線機については96式は「悪癖があるが最低限の機能はある」、3式は「自軍の無線機に匹敵する」との米軍評、他方日本でも「本土では通じた」「母艦に乗ってるときは使えたが、南方に行ってからいつの間にか使えなくなった」の証言があるため、なぜ使えなかったのか?は再考の余地がある。
    零戦の自動消火装置も「効果がない」との現地部隊の報告により技師を派遣したところまともに整備されていなかったため、整備方法を教えて帰国して以降は「効果あり」の報告が来るようになった。という逸話があるため、電子機器の整備が不得手だったゆえではないかと思うがどうだろう?無論防湿対策が不十分なのは否定しないが

    • 無線機自体の性能もさることながら機体側にも大きな問題があったと想像する。14気筒の巨大なエンジンで点火プラグやディストリビューター、ポイント、ハイテンションコードどれも今のエンジンとはお話にならない位のノイズを出していたのでは?アースも不完全でアンテナからも電源ラインからもバリバリガーガー雑音が入ってきたのでは?ある意味雑音が出るのは当然で、無線機としては正常に働いていたのかもしれません。

      自動車やオートバイでもバリバリのノイズを出さなくなったのは昭和40年代以降じゃないでしょうか?オートバイが走るとラジオやTVに雑音が入りましたね・・・

  16. 零戦に限らず太平洋戦争に関する戦記は子供のころからたくさん読んできた。そんな中で戦闘機乗りの戦場での通信手段は陸海を問わず手信号によるシーンがよく描かれていて、「ふ~ん、無線は使ってなかったんだな・・・変なの。」と子供心にも奇異に感じたこともあったと記憶している。
    常々『情報軽視は古来から我々日本人の弱点で、今もその次元から脱却できていない。教育においてもその事実を子供たちに教え、情報に関する感性を高める方向に導くこともしていない。』と思っている自分なので、今回の記事の内容には得心がいった。

  17. 旧式な零戦に最後まで頼らなければいけなかった日本の科学技術の限界でしょうね
    零戦パイロットの回顧にも米軍機はなかなか火を吹かないって記述をしばしば見ます

  18. 現行の最新鋭戦闘機だって機銃を防げる装甲板なんて付いていないでしょ?「防ぐより弾に当たらない」という考えで、機動性を優先しているってことですよね。
    それを人命軽視っていうのは違うと思う。

  19. どうせ日本軍の無線なんて使い物にならないんだから…意味ないと思うなぁ

  20. >かのミッドウェー海戦では、空母上空を守らなくてはならない零戦がチームワークの不備から低空に殺到してしまったため、
    結果として上空ががら空きになり、無防備となった3隻の空母がその隙を突かれ一瞬のうちに沈められてしまいます。

     ふん、21世紀の評論家は、勝手な推測を書かれるものですね。生き残りの証言が生の声で集められた20世紀には、
    このようなチームワークの不備などとの書き方はされなかったのですが。
     ミッドウェー海戦では、最初の段階では、日本の連合艦隊の戦力が圧倒的に強すぎたのです。
     それでミッドウェー島から連合艦隊の攻撃に飛来したアメリカ陸軍機は、(暗号解読し連合艦隊を待ち構えていたのに)無線連絡を含めた
    作戦遂行を失敗したこともあり、39機の雷撃機だけだった。急降下爆撃機と合同での攻撃予定を失敗した。(これこそチームワークの不備でしょう)

    これを迎撃した連合艦隊は、ゼロ戦の迎撃と対空砲火で迎え撃ち、航空魚雷での艦船被害ゼロで、アメリカ側の雷撃機をすべて撃ち落としてしまった。
    (これは、アメリカ、ワシントンDCのスミソニアン博物館で確認したが、アメリカ側も帰還機ゼロとの記録でした。)

     で、その後の連合艦隊は、アメリカは航空母艦を狙って雷撃主体で攻撃してくると考え、艦隊の警戒監視も空中待機の迎撃ゼロ戦も1000m以下の空域の警戒をしていた。
    そこに雷撃機との共同作戦から1時間以上遅れて、アメリカ側の急降下爆撃機が3000m以上の高度で到着し、当然、高空ががら空きだったので、即座に急降下を開始した。
    低高度だったゼロ戦は迎撃できず、対空砲火だけで半分くらい撃墜したが、生き残った爆撃機の爆弾が甲板を突き抜けて格納庫で、爆発した。

     さらに悪いことに、この前に、「アメリカ軍空母発見」と偵察機からの報告が(機体故障で出発が遅れた偵察機の飛行海域にエンタープライズなどがいた)あったので、
    連合艦隊空母の中では、2回目の島の空港攻撃の陸上用爆弾から、対艦艇用爆弾と魚雷に交換中だった。
    で、運悪く2発か3発のアメリカ軍の500LB爆弾だけど、多数の装着・収納途中の日本側の爆弾が誘発して3隻の空母が撃沈されてしまった。
     スコールの雷雲が近かった飛龍だけが、スコールに逃げ込んで退避出来た。

     この時の海軍将校の証言で「アメリカの攻撃隊が来たけど、戦闘機の護衛無しだと、面白い様に落ちるのを見て、敵ながら可哀そうになった。
    わが攻撃隊もゼロ戦の護衛無しで行かせたくない」と考えて、迎撃用ゼロ戦の一部を着艦させて、護衛飛行用に給油していたとのこと。
    だから急降下爆撃機の来襲時、空中待機の迎撃戦闘機も少なかったそうです。

     日本としてのミッドウェー海戦での軍事的な反省としては、
    ・開戦時、台湾からフィリピンへ戦闘機含んで攻撃し、「フィリピン沖に空母がいる」とアメリカ側を混乱させたのに、
     B25を空母ホーネットから発艦させて、本州爆撃をしたドゥーリットル隊に騙されて、ミッドウェー島を確保する作戦を立てたこと。
    ・旗艦の戦艦長門を最前線である航空母艦の近くで航行させず、50カイリ?以上後方にいたこと。
     これの対空砲火の威力はやはり違ったとのことで空母の護衛に戦艦を使うべきだった。
    ・アメリカ軍の空母が発見された時点で、とにかく、陸上用爆弾でいいから発艦して攻撃に行くべきだったこと。
     ただ、水平爆撃で敵艦に当たるとも考えられず、これは不運だったとしか言えない。
    ・偵察作戦の重要性を甘く考えていた。で、速度の遅い水上機を全海域ではなかったが、偵察に使っていた。
     彩雲は戦争後期に制式採用、陸軍100式司偵は海軍も使っていたが、空母運用は出来ない。
    ・第一航空艦隊司令長官が南雲だった。これはもうどうしようもない、人事ミスで、年功序列の悪い例として教科書に載るべきもので、何回失敗をかばうのでしょうね。
    ・山口多聞が、艦長として責任を全うすべく沈没する飛龍から退避しなかったこと。生き残って司令官として艦隊指揮を執っていればなあ。
    ・連合艦隊が作った作戦で、戦力の集中など戦術的に基本の作戦計画が弱かった。軍令部が作れば少しは変わったかもしれない。
    ・海軍の暗号はお粗末で、読まれていた。アメリカはミッドウェー海戦前に「日本がミッドウェーを狙っているようだが確信が持てない」時に、
     偽情報で海軍の暗号を使い「ミッドウェー方面にXXが足りない」と発信したら、日本海軍が、即座に反応したので、確信を持ったとのこと。
    ですが、いかが。
    (年寄りが、過去にサンケイブックスとその他の単行本、昔の雑誌"丸"からの知識と、米英へ仕事で行ったついでに軍事と航空博物館めぐりをしたまとめより)

    • 戦艦他の艦艇を防空に当てるというアイデアはあろうはずもないでしょう。それこそ戦闘機を持っている空母が一番対空戦に有利なはずだから。戦艦を後方に下げておくというのは当時妥当な考え方だったと思います。
      アメリカ側の研究では飛龍は生きて帰れたはずだそうです。ヨークタウンに一撃を加えた後なおも追撃をし続けてしまったこと。山口司令の判断ミスだと言われています

  21. >退魔忍さんへ
     あとから考えれば、その通りで、飛龍が逃げて戻れば空母が残りました。
    しかし、書いてあるでしょう、これは連合艦隊の作戦だったと。
    軍令部の作戦なら、飛龍は無傷で戻ったかもしれないが、連合艦隊の作戦行動で失敗して、
    空母3隻失って戦果無しでは、連合艦隊のメンツが立たない。
     だから、米国空母を1隻でも確実に沈めようと無理をした。
    戦術的な、判断ミスはその前の索敵から始まる段階、またはもっと前からの暗号バレバレ段階ですよ。

  22. 人命軽視だったというよりも、防弾板まで取り付けられるほどの高出力のエンジンを当時の日本では製造できなかったという事も大きな原因の一つではなかったでしょうか?ゼロ戦はある意味、戦争では勝てませんでしたが、戦争が終わった後に経済で勝てたといえる機体かもしれません。アメリが軍の戦闘機は、おしなべて防弾能力が強く、エンジンも高出力でした。しかし、共通した隠れた弱点が、燃料をがぶ飲みするという避けられない特徴があります。勿論、戦争ですからそんなことは問題にはなりえません。しかし、戦争が終わり、民間機が多く求められると、一人でも多くの乗客を、一つでも多くの貨物を積載し、少しでも無給油で、遠くまで飛べるという経済的な必要条件が課されてきます。ゼロ戦の特徴は、まさに民間機の要求に最適の条件をそなえていました。戦後、多くの民間機が登場しましたが、ゼロ戦の特徴は、現代にも機体設計に必要不可欠な条件となっています。現在の民間航空機も、すべてゼロ戦の機体設計の特徴をとりいれていますから、ゼロ戦は、戦争ではなく、平和時にこそ本当に役に立つ機体だったと思えます。