地下鉄の「踏切」とは 道路だけでなく線路も遮断 厳重ガードのワケ

【写真】銀座線の踏切、昭和の姿

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昭和50年代の踏切。現在とは違い金網のような遮断機だった(画像:東京メトロ)。

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コメント

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2件のコメント

  1. 地下鉄御堂筋線、阿倍野車庫へ入る踏切
    現在の大阪市阿倍野区役所に地下鉄の車庫がありました。
    まだあびこ筋は道路になっていませんでした。
    天王寺方面からゆっくりあがってきた地下鉄が、阿倍野斎場と
    国鉄美章園駅を結ぶ道路を横切っていました。
    このような厳重な構造にはなっていなかったと
    記憶します。
    上がベージュ、下が青い古い車両とベージュとオレンジの
    新しい車両が並んでいました。
    それから、地下鉄の乗務員室は運転側だけで、反対側のドアの開閉器は
    出入口横にありました。

  2. こういう記事見ると、一般受けを志向してるんだなあと思う