見上げれば電車が通過! 高架下にガラス天井の商業施設が完成 東急池上線(写真27枚)

「幻の延伸計画」が生み出した空間

 現在の池上線を建設したのは、池上電気鉄道です。1922(大正11)年、池上本門寺(東京都大田区)の参詣客輸送を目的に蒲田~池上間が開業。その後、東京都心に向けて少しずつ延伸され、1928(昭和3)年に大崎広小路駅から五反田駅まで延伸されました。

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池上線の五反田駅ホームは山手線の線路をまたいでいる(2018年3月12日、草町義和撮影)。

 池上電気鉄道はさらに、五反田駅から都心に乗り入れることを計画していました。1926(大正15)年ころの計画では、現在の都営浅草線の高輪台駅とグランドプリンスホテル新高輪の近くまで線路を伸ばし、そこに「白金駅」を設置するはずでした。

 しかし、都心に乗り入れるためには、すでに開業していた山手線と交差しなければなりません。そこで、大崎広小路駅から高架橋を建設し、山手線の線路をまたぐように五反田駅のホームが建設されたのです。

 都心乗り入れは池上電気鉄道の経営悪化や目黒蒲田電鉄(東急電鉄の前身)への傘下入りなどの影響で、1934(昭和9)年に中止されました。戦後は現在の都営三田線と接続させて相互直通運転を行うことが考えられましたが、都営三田線は目蒲線(現在の目黒線)に接続されることになり、池上線の都心乗り入れは結局実現しませんでした。

 ただ、五反田~大崎広小路間は「幻の延伸計画」によって高架橋となり、商業施設を整備できる高架下の空間が生み出されたといえるかもしれません。

【了】

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Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)

鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。

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コメント

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1件のコメント

  1. 線路の高架の一部がガラス張りなのかと思ったら、施設の屋根か
    高架脇から高架見上げるのと同じじゃない…