「無印」新宿駅から約400m 西武新宿駅が離れている歴史事情

最初は新宿を目指さなかった

 村山線の開業に先立つ1926(大正15)年、国は西武が申請していた、高田馬場から早稲田に延伸する計画を認めました。このころ、東京市(現在の東京都)が「市営地下鉄」の建設を構想し、早稲田には市営地下鉄の駅が設けられることになっていました。西武は市営地下鉄との連絡を図るため、早稲田への延伸を考えたようです。

Large 180329 seibushinjuku 02
新宿(西武新宿)~高田馬場間の線路の右側に国鉄貨物駅の建設が計画されていた(2015年9月、草町義和撮影)。

 しかし、西武が計画した早稲田ルートの近くでは、国鉄が「戸山原貨物駅」の建設を計画していました。山手線・新大久保~高田馬場間の東側(現在の早稲田大学西早稲田キャンパスなどがあるエリア)には陸軍の射撃場があり、射撃場とその周辺の土地を使って貨物駅を建設することが考えられていたのです。貨物駅の詳細な設計が決まらないと西武の早稲田延伸もルートを確定できないなどの理由から、計画は宙に浮いてしまいました。

 それから9年後の1935(昭和10)年、西武は新宿に乗り入れる計画を国に申請します。このときは西武村山線の下落合駅から分岐し、大部分は地下を通って新宿駅に向かう計画でした。

 ところが、西武は1937(昭和12)年に下落合~新宿間の計画を撤回。西武村山線を高田馬場駅から新宿駅に延伸する計画を改めて申請しました。この計画変更にどのような考えがあったのかはっきりしませんが、建設費を安くするといった目的があったのかもしれません。

 しかし、当時の国鉄線を運営していた鉄道省(現在の国土交通省)は、並行路線となる山手線の運営に大きな影響があると考え、西武村山線の延伸計画には消極的だったようです。また、高田馬場駅から新宿駅に向けて南下するなら、戸山原貨物駅の予定地を縦断することになります。早稲田への乗り入れ以上に建設が難しくなることは明らかでした。

この記事の画像をもっと見る(5枚)

画像ギャラリー

  • Thumbnail 180329 seibushinjuku 05
  • Thumbnail 180329 seibushinjuku 01
  • Thumbnail 180329 seibushinjuku 02
  • Thumbnail 180329 seibushinjuku 03
  • Thumbnail 180329 seibushinjuku 04

最新記事

コメント

4件のコメント

  1. コメントのしようがない。

  2. 新宿駅までのルートはどれもロスが多い。
    西武新宿に限らず、西武は都市計画や動線設計を一顧だにせず駅や路線を建設するから実にタチが悪い。

  3. 今なら新宿への延伸よりも、メトロ東西線へ乗り入れる方が助かる人は多いのでは。

  4. もし早稲田に伸びていたら、西武新宿駅の需要は、新宿駅に集中して大変になるか、それとも、町が分散して、集中を避けられたかな。