九州「大都市のローカル線」が廃止された理由 沿線人口は多いはずなのに(写真51枚)
「業態転換」のチャンスはあったが
九州最大都市の中心部とその郊外を結ぶルートだったにも関わらず、なぜ勝田線の利用者は少なかったのでしょうか。
勝田線は、沿線にあった炭鉱で産出される石炭の輸送をおもな目的に計画され、1918(大正7)年から1919(大正8)年にかけて開業しました。もともとは筑前参宮鉄道という私鉄でしたが、戦時中の1942(昭和17)年に九州電気軌道(現在の西鉄)と合併。さらに1944(昭和19)年には、軍事上重要な資源である石炭の輸送を国が一元的に行うため、国鉄が買収しました。
戦後も引き続き国鉄が運営しましたが、1960年代に沿線の炭鉱が閉鎖されると、勝田線の貨物輸送量は大幅に減りました。石炭輸送がおもな目的の路線だったため旅客列車の本数も少なく、1964(昭和39)年10月の時点では1日11往復(休日10往復)しか運転されていませんでした。
一方、勝田線の沿線は炭鉱が閉鎖されたころから福岡の郊外住宅地として開発が進み、志免町や宇美町の人口も1970年代の後半ごろから急激に増え始めます。この段階で旅客列車を大幅に増やして1時間に数本程度の頻発運転を行い、貨物輸送から通勤通学輸送を中心とした旅客路線への「業態転換」を図っていれば、利用者はかなり増えていたかもしれません。
ところが、国鉄は旅客列車を増やすどころかさらに減らし、1982(昭和57)年11月時点では1日7往復(土曜、休日6往復)になってしまいました。このように不便なダイヤだったため、沿線人口が増えても利用者が増えることはありませんでした。
住民運動とかはなかったのかな?
既に、天神直行の西鉄バスの牙城が築かれていたというのもあるのではないだろうか。
経営的な事情でやむを得ず廃止になったとしても復活できる仕組みを考える時期。
JRでも西鉄でも福岡市地下鉄でもいいから旅客鉄道として再開できればいいのに。
国鉄の赤字が理由ではないでしょ?
単に乗客の伸びが期待できなかったから廃線になっただけ。
仮に延命していたとしても、問題の先送りに過ぎない。
まだ、こういうこと言ってるよ!
勝田線は全く使えない鉄道でした。
そもそも吉塚に向かっているので住民の指向性とは
全然違う方向につながっているのです。
利用者は県庁にそんなに行く用事があるのですか(笑)?
バスを見てください!ほとんどが天神に向かいます。
そうです、住民は天神への指向性が高いのです。
博多駅は企業の支店が集積しています。
そういうところで働く人たちは転勤族です。
彼らは会社の寮から通勤します。
大手企業の転勤族の寮や借り上げ社宅が志免や宇美につくられましたか?
糟屋郡はどんなところ?ときかれると
福岡インターに近いので物流関係の大規模な倉庫が多いところ、
それゆえ大型のトラックの交通量が多いところ、
福岡市に近いので郊外型のマンションや一戸建ての大規模ニュータウン開発が進んだところ
で何かあるたびに渋滞が頻繁に起きるエリア、
いわゆるベッドタウン、衛星都市だと
と答えます。
現在の宇美駅も使いにくい場所にありますので利用者もなかなか増えません。
筑前勝田駅跡に住宅は増えましたがとてもとても鉄道を利用するユーザーではありません。
マイカー族ですから。
御手洗駅付近など倉庫ばかり立ち並んでいますよ・・・
わたしは以前から地下鉄の福岡空港駅から1駅延長して
志免町の中心部まで持ってくればかなり効果はあると思っていました。
ただ、志免炭鉱の坑道がどのように走っているのかが分からないので
地価は掘れない可能性もあります。
最近、地下鉄を長者原駅まで延伸して筑豊から空港直結させろという案があることを知りました。
なかなか良いアイデアですが、長者原駅付近に分岐する土地があるのかな?とか
これをやったら志免町にはもう二度と鉄道は来ないなと思いました。
なお、この記事の
バスが博多駅へは間違いで天神に向かいます
筑前参宮鉄道(西鉄)が買収されたのは
志免炭鉱が海軍(国家)の炭鉱だったからです
戦後は海軍炭鉱は国鉄炭鉱として経営されて国鉄炭鉱として閉山しました。
甘木線も福岡から近いところを走るローカル線で勝田線と似たような状態でしたが、甘木鉄道に転換されて大増発して小郡駅を西鉄小郡駅の近くに移転するなど努力して乗客を4倍に増やしました。鉄道で残して良かったケースですね。
これが太宰府まで延伸され,西鉄太宰府駅と共用化されると,今,非常に便利だと思うんだが?
勝田線は運行本数が少ないまま廃止された例でしたが、
名鉄や西鉄には、沿線人口も十分あり、頻発運転もされていたのに、廃止されてしまった路線があります。そちらにも問題意識を持って取材していただけるとより発展性があるかも。