高速バス路線の興亡史 豪華バスでもJRでも崩せぬ「地元バス会社」最強説
新参者は辛いよ… 豪華バスで脚光を浴びるも敗退
2002(平成14)年、道路運送法が改正され高速バスを含む乗合バス分野への新規参入が認められると、貸切バス専業の事業者がさっそく高速バスに進出しました。たとえば仙台~福島や仙台~郡山では、もともと宮城交通ら既存の事業者が高速バスを運行していたところ、富士交通(宮城県)と桜交通(福島県)が共同運行で後発参入しています。
このとき、後発の富士交通はサロン室付きの豪華車両を投入するなどし、地元メディアで大きな話題となりました。また、後発事業者による駅前停留所の利用調整といった問題について、既存の事業者を公正取引委員会が注意するという事案も発生します。しかしながら、後発路線の側は苦戦し2005(平成17)年には事実上の廃止に追い込まれたほか、富士交通が経営破綻するまでに至ります。
同路線でも、やはり、運行頻度の差が勝負を決めたと考えられます。さらに、宮城交通や福島交通といった既存事業者は「地元の名士企業」として大きな存在感を持っているので、そういった事業者が運行する高速バスは地元のリピーターのあいだで定着しており、習慣的に利用されていたことも新規参入組への「浮気」を防いだと考えられるでしょう。
一方、後発路線の共同運行者であった桜交通は、同路線から撤退した後、仙台~東京に高速ツアーバス(募集型企画旅行形態)で参入し、いまでは東京や大阪に営業所や子会社を持つ大規模な高速バス事業者に成長しました。この仙台~東京は、さまざまな事情があり地元の既存事業者(この場合は宮城交通)が参入したのは2006(平成18)年です。それ以前からも同区間に高速バスが運行していましたが、市場開拓が十分ではありませんでした。
同区間の高速バス(既存の高速バス+高速ツアーバス)は、高速ツアーバス各社がウェブマーケティングを活用したことで、年間利用者数が約25万人(2005年)から約115万人(2011年)へと急増しています。このことは逆に言うと、「地元の名士」である地方の既存事業者が運行していた区間では、元から十分に市場が開拓されていたことを示しています。
一方、その「元からの市場」を、「元からの事業者」どうしが奪い合った例もあります。
ちょっと寸足らず。
富士交通の場合は難色を示す既存事業者に突っ込んで行った点。
結局は本数もあるにせよ運賃対決。
大手先発は苦しくなっても体力面では無敵。
こうなると富士交通が限界に挑戦。
出来るはずもなく…
運賃などに違法性ありとの結果が出た頃には時既に遅し。
博多~宮崎の場合は、
元々から運行していた時からの意見など参考にJR九州バスも対策。
ところが西鉄と宮交も即時反応。
これが出来るところが凄いことで、
車両のグレード向上や博多駅先回りに経路変更。
更に最終的に天神に行くとはいえ博多駅先回りの穴埋めで、
西鉄バスが市街地路線バス押さえてるのを利用して、
天神までのショートカット経路も確保。
ところがJR九州は、
天神のショートカットルート確保できず(一応地下鉄使ってね♪とは試みたけど)、
それどころか天神に乗り入れすらできず。
もう運賃や本数以前の問題で、
ここで詰み確定。
予想通り撤退と西鉄に頭下げる事態に。
しかし・・・セレクトシート車という、ぶっちゃけ負の遺産も・・・。
フェニックスのセレクトシートは評価が別れているようですが、
1台で2通り(それ以上も)という発想力は大きかったという面も。
フェニックスとは無関係の他社にも真似されるという
ある意味で功績というかなんと言うか
縄張りみたいなものか?
高速バスは激しいのか?
元々バス事業は営業地域や事業規模などという住み分けが。
それらを段階的に取っ払ったのが、
いわゆる規制緩和。
それに目をつけて勇猛果敢に突っ込んで行ったのが富士交通。
逆に振り回されたのがフェニックスとJR九州との関係。
九州旅客鉄道(親)が余計なこと思い付いたばかりに…
尤もフェニックスの場合、
元の西鉄連合入りしているところをみると、
喧嘩する台本があったのかも知れませんけど…
高速バスを選ぶにはやはり土地勘豊富な地元路線バス会社の方が安心感がありますね。
一度新宿白馬を往復した際、帰りのバス(東京のバス会社)が通行止めう回路誘導されたら道に迷って地元の人に道を聞くという珍事がありました。
前の日が全国的大雪で軒並み運休で運転手のやりくりも困難だったらしく、急遽違う路線を担当した運転手だったようです。
そういえばアステローペは後ろが2階建てなのが知られてますがこの写真のは珍しくSHD仕様ですね。
地元を最凶