「ザ・昭和の観光」な定期観光バス、なぜいま人気 はとバスV字回復、地方でも脚光のワケ
「はとバス」に代表される定期観光バスは、その地域の観光地を効率よく回ることができ、高度成長期には全国の都市で運行されていました。時代の流れで一時は人気が低迷しましたが、近年、新たな取り組みや訪日外国人の利用で復活しつつあります。
「国内旅行の花形」から一転、縮小へ
当時、定期観光バスは国内旅行の「花形」でした。多くのコースが日本交通公社(現・JTB)など大手旅行会社の支店で取り扱われ、国鉄の「連絡運輸」扱いで、駅の窓口において予約、購入できるものもありました。ウェブ予約などなかった時代、全国の旅行会社や駅で購入できるのは大変便利だったこともあり、鉄道で目的地に向かい、定期観光バスに乗り換えるという旅行形態は一般的なものになりました。
伊豆や箱根のような観光地、京都や奈良のような観光都市では多くのコースが作られ、決して観光客が多いと言えない都市でも、県庁所在地クラスには必ずと言っていいほど運行されていました。一般的に、午前コースと午後コースが設けられ、昼食を挟んで両者を乗り通すと地域内の観光地をひと通り網羅できるよう設定されました。
ところが、1980年代から定期観光バスの市場は縮小を始めます。自家用車が普及し、マイカー旅行の比率が上がったこと、所得が上がり休日が増えたことで多くの日本人が「旅慣れ」し、景勝地から神社仏閣、博物館まで総花的に回るコースでは満足しなくなったことなどが背景にあります。知らない土地に出かけ物見遊山することは、もう特別なこととは言えず、旅行者ひとりひとりの興味関心に沿った旅行が求められるように。一方、高速道路の延伸などにより、地元で集合し目的地までの移動から現地での観光まで1台の貸切バスが担う、旅行会社のバスツアーが増え、手軽に旅を楽しみたい人はそちらに参加するようになったのです。

乗客減少により、バス事業者は複数のコースを統合し合理化を進めますが、それがさらに総花的で凡庸なコースを生み、利用者はもっと離れました。2000年を過ぎると全国で廃止が相次ぎ、観光客が多いはずの大阪や広島といった都市でさえ、一時は全廃されました。
水陸両用バスによる定期営業運転は「東京が広めた」ではなくて大阪が先ですな……。
閑話休題、京都の定期観光バスも共同運行の京都市交通局撤退後、「全国各地に知名度を高めたい」京阪グループの京阪バスが必死ですからね。季節運行とは言え、西武グループの近江鉄道バス、近鉄グループの奈良交通、阪急阪神グループの丹後海陸交通と組んで共同運行したり(京阪バスグループによる丹後海陸交通との共同運行はそれこそ路線バス含めて初めてのはず)、地場の貸切バス会社、明星観光バスと組んでスカイバスやってみたり、はてはウィラーのレストランバス売ってみたり。
他にも平成が終われは復権する昭和の遺物があるかも知れない