大阪の公園で保存中の国鉄「マンモス」電気機関車 1両なのに「2両」の謎(写真21枚)
かつて「マンモス」と呼ばれた国鉄最大級のEH10形電気機関車が、大阪市内の公園に1両だけ保存されています。ところが、公園にあるのは背中合わせに連結された「2両」の機関車。1両しか残っていないはずなのに、なぜ「2両」あるのでしょうか。
「マンモス」と呼ばれた黒い電気機関車
阪急電鉄の淡路駅から歩いて5分くらいのところに、東淡路南公園(大阪市東淀川区)があります。都市部の住宅街に多い小さな公園ですが、園内の北側には黒い色をした電気機関車が鎮座しているのがみえます。
この機関車の名は「EH10形」。1954(昭和29)年から1957(昭和32)年にかけて64両が製造された国鉄の電気機関車です。東淡路南公園には、このうちの1両(61号機)が保存されています。
しかし、公園内にある61号機を見てみると、2両の小型電気機関車が背中合わせに連結しているように見えます。
EH10形は、重い貨物列車を引っ張りながら東海道本線・大垣~関ケ原間にある急勾配を走るため、強力なパワーを持った電気機関車として設計。動力を伝達する車輪(動輪)を増やして8軸にしました。しかし、単に動輪を増やしただけでは車体も長くなり、カーブを曲がりきれません。そこで車体をふたつに分けて連結したのです。正確には1両の機関車の扱いのため、ふたつの車体を切り離して運転することはできません。
ちなみに、名前の「EH」は「E」が電気機関車、「H」が動輪の車軸数を表しています。アルファベットの順番がそのまま車軸の数になり、6番目の「F」なら6軸、「H」は8軸です。それまでの国鉄電気機関車は最大でも6軸でしたから、8軸は国鉄初。全体の大きさやモーターの出力も国鉄最大級だったことから、「マンモス」というニックネームが付けられていました。
これが気になる人って、蒸気機関車がテンダーと本体で(1両扱いだが)2車体になっているのはノープロブレムなんだろうか。
大船~藤沢間に湘南貨物駅という貨物駅がありました。
幼稚園の頃近くに住んでいたので、よく自転車に乗って近所の友達と電車や貨物を見に出かけていました(当時は幼稚園児だけで結構出かけていましたね)。
他の機関車と違って黒かったからなのか、他の機関車と違い2両連結だったからなのか分かりませんが、このEH10という機関車だけは今でも鮮明に覚えています。卒園アルバムも橙色の江ノ電バスと黒いEH10の機関車をなぜかクレヨンで描いていました。好きだったのでしょうね。懐かしいです。
「気かん車内に入らない・・・」字間違えてるよ・・・。
たしか阪急淡路駅のところのはずですが、もうちょっといいところで保管できなかったのかな?
この場所にゆかりがあるのならアレですけど・・・(字間違えてるようなとこに)
ホントに。東海道の主として一世風靡した名機なんだから京都の鉄博にでも連れてってあげてほしいですな。
JR貨物が永久連結の機関車を導入したのは、旅客会社に支払う線路使用料が重連運転と違って機関車1台の扱いで安くなるからと聞いた事がある。
EH10機関車のおもいで
鉄路を眺めていると遠くからレール音がして電車か機関車が判ります。
EF15や10、13は「タタタンタンタンタンタタ」こんな感じで聞こえるので「貨物が来るぞ」が判りました。
EH10は独特で「たんた・たーた・たんたたん」に聞こえ、友達同士では「東京音頭が来た」なんて言ってました。
EH10って作られた昭和29年当時の技術力では2車体に成らざるを得なかった車両ですね。あの桁外れのデカイ車体と8軸ならではの独特の走行音が好きでした。
無動回送二両連結した計3重連は圧巻でしたね。