【国鉄105系の現況】新造と改造、多種多彩な形式と番台を見る
105系は最初から105系として新造された車両のほか、103系を改造して105系に編入した車両も。とくに改造車は種車の車種によって車体の構造や前面のデザインも大きく異なります。多種多彩な車両群を構成している105系の各形式と各番台を解説します。
105系の各形式
105系は大きく分けて、「最初から105系として新造された車両」(クハ105形を除く0番台)と、「103系を改造して105系に編入した車両」(100・500・600番台およびクハ105形0番台)の2種類があります。
新造0番台は先頭車がブラックフェイスですが、改造車は種車となった103系の車種によってスタイルが大きく異なるのが特徴といえます。
新造車のグループを構成しているのは、制御電動車クモハ105形と制御車クハ104形、電動車モハ105形、付随車サハ105形の4形式。2両編成が基本ですが、かつては4両固定の編成もありました。改造車はモハとサハがなく、クハはクハ104形とクハ105形の2形式があります。
クモハ105形0番台(1~31)
1981(昭和56)年の1月から3月にかけて東急車輌、近畿車輛、日立製作所で新造された制御電動車(Mc)です。東急製のクモハ105-1~8が福塩線用として府中電車区に、近車と日立製のクモハ105-9~27が宇部・小野田線用として宇部電車区へ配置されました。
後位にパンタグラフを持ち、主電動機、主制御器、主抵抗器といった主回路機器のほか、補機のMG、CPや蓄電池も搭載。1両単独で運転が可能な装備を持っています。車体は片側3扉のオールロングシートで、運転台は貫通形高運転台構造になりました。
クモハ105-28~31の4両は、1984(昭和59)年度に鷹取工場と広島工場でモハ105形0番台に運転台ブロックを取り付けてMc化した改造車。乗務員室直後の狭い側窓がなく、隣接する戸袋窓が大きくなっています。現在、新造車グループは全てAU75形1基またはWAU102形3基で冷房改造され、体質改善工事を施工済み。31両全車が残っています。
クモハ105形100番台(101)
仙石線のクモハ103-149を改造した車両で、1区分1両のみ。車体や台車はほぼそのままに、床下機器などを105系仕様に取り替えました。このため前面は103系と同様、3連窓の非貫通低運転台です。
仙石線用の4両は、改造前にAU75×1基で冷房改造されており、MGは冷房兼用のものをTc車に搭載しました。前編で述べたように、すでに廃車、消滅しています。
クモハ105形500番台(501~532)
奈良線と和歌山線の電化や、可部線73系置き換えのため、1984(昭和59)年度に103系地下鉄直通車のモハ103・102形1000番台から改造投入されたグループです。改造は国鉄の大井、大宮、大船、長野、名古屋、吹田、広島、幡生の8工場と新津車両管理所が分担して施工しました。
車体はパンタグラフのない前位にオリジナルと同様の、貫通形高運転台の運転台ブロックを接合、下回りは台車と主電動機を残して床下機器は105系仕様に取り替えられました。車体は103系のものをほぼそのまま再用したため片側4扉に。屋根のカーブもオリジナルより丸みを帯びています。クリームに赤帯、電連付きのクモハ105-501~524が奈良電車区、オレンジ一色のクモハ105-525~532が広島電車区へ配属されました。
その後全車が冷房化され、一部は延命工事により戸袋窓を閉鎖しています。現在残っているのは19両で、いずれも桜井線・和歌山線用となっています。
クモハ105形600番台(601)
上記100番台と同時に、モハ102-315の前位に103系仕様の運転を組み立て、後位にパンタグラフを搭載してMc化した1区分1両の車両。外観と仕様はクモハ105-101と同じです。すでに廃車されていて、見ることも乗ることもできません。
モハ105形0番台(1~4)
105系は福塩線に新製配置された車両のみMc+T+M+Tcという4両固定編成が4本ありました。そのため、中間電動車(M)のモハ105形0番台が1981(昭和56)年2月、東急車輌で4両のみ新造されました。車体は前位運転台部分が客室となっている以外、クモハ105形0番台とほぼ同じです。
しかし1984(昭和59)年夏から1985(昭和60)年にかけ、前位にクモハ105形0番台と同様の運転台ブロックを接合してクモハの続番(クモハ105-28~31)に編入。わずか4年ほどで形式消滅しています。改造は国鉄鷹取工場と広島工場で行われました。
クハ104形0番台(1~29)
1981(昭和56)年1~3月にかけて東急車輌、近畿車輛、日立製作所で新造された、偶数向き専用の制御車(T’c)です。車体はクモハ105形0番台とほぼ同じ構造になっています。
東急製のクハ104-1~8が福塩線用として府中電車区に、近車と日立製のクハ104-9~25が宇部・小野田線用として宇部電車区へ配置されました。
クハ104-26~29の4両は1984(昭和59)年度に鷹取工場と広島工場で改造された車両。サハ105形0番台の後位に運転台を取り付けてT’c化しています。乗務員室直後の狭い側窓がなく、隣接する戸袋窓が大きいのが特徴です。
冷房化や車体更新を受け、いまも29両中27両が残っています。
クハ104形500番台(501~510)
クモハ105形500番台と同様、103系からの改造車です。
種車は中間電動車のモハ102形1000番台10両。電装を解除し、貫通形高運転台タイプの運転台ブロックを接合して偶数向きのT'c車としました。台車は101系で使われていた両抱き式ブレーキのDT21T発生品を再用しています。冷房化や更新工事などはクモハ105形500番台と同様です。
現在も10両全てが桜井線・和歌山線用として残っています。
クハ104形550番台(551)
1989(平成元)年11月に発生した桜井線の踏切事故で、2両目(クハ105-7)にダンプが衝突。これによりクハ105-7の側面は大破し、廃車されてしまいました。そこで代替車両として導入されたのが、クハ104形550番台1両(クハ104-551)です。
1990(平成2)年7月に用途廃車となった103系モハ102-385の車体に、事故車の先頭部分を接合して105系化した1区分1両の車両。105系ではこの1両のみが平成になりJRの手により改造されています。
103系改造車グループとしては唯一、WAU102形冷房装置3基で冷房化改造されています。また、床下には連結相手のクモハ105-522 が搭載するAU75形冷房装置にも冷房電源を供給するため、70kVAの再用品MGを搭載し、形態的にも特徴が多くなっています。
クハ104形600番台(601)
可部線73系の置き換え用にサハ103-66を改造した1区分1両のT’c車です。
種車は1965(昭和40)年8月製で、105系の中でも最も経年の高い車両でした。その後JR西日本によりWAU202で簡易冷房化が行われましたが、同社のクハで唯一便所の追設は行われず、2016年に廃車され消滅しました。
クハ105形0番台(1~14)
クモハ105形500番台と2連を組む奈良・和歌山線用Tc車として、103系地下鉄直通車のクハ103形1000番台から改造投入されたグループです。偶数向きのクハ104形と異なり奇数向き構造のためクハ105形を名乗りました。
車体は先頭部ともオリジナルをそのまま再用。片側4扉貫通形低運転台タイプで、営団地下鉄千代田線直通車の面影を色濃く残しています。前面貫通扉は非常時の脱出用で、複数の連結を想定したものではありませんでしたが、105系への改造により先頭車間をつなぐため、新たに幌座と幌が設置されました。
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Writer: 佐藤利生(鉄道ライター)
1961年東京生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。大手私鉄で運輸、車両、企画部門などを経験し、部長職で退職。在職中より鉄道趣味誌で国内外の鉄道車両に関する記事や写真を発表。鉄道設計技師(車両)、慶應義塾大学鉄道研究会三田会と海外鉄道研究会の会員。全国のJR、民鉄、軌道、モノレール、新交通は全線を完乗。