秘密だらけ大和型3番艦「信濃」の不運 WW2最大最強のはずの空母 なぜ22時間で沈んだ?
竣工、そして不運な旅路へ
「信濃」は、1944(昭和19年)11月19日に横須賀軍港で竣工しましたが、激しくなりつつある空襲を避け、残工事を完成させるため呉軍港に回航されることになります。
呉への航路については、潜水艦を警戒して昼間に沿岸を航行する案と、空襲を警戒して夜間に外洋を航行する案で議論となりましたが、伊豆七島に沿って南下した後に西へ転進、紀伊半島を迂回して瀬戸内海に入る、夜間の外洋航行に決定します。大和型は20ノット(およそ37km/h)以上の高速航行が可能で、万一、潜水艦から魚雷の1発や2発程度を受けたとしても、十分に耐えられるとの自信もあったといいます。
11月28日13時30分、第17駆逐隊の駆逐艦「磯風」「浜風」「雪風」を護衛に付けた「信濃」は、横須賀軍港を出港しました。
外洋に出た19時、「磯風」がアメリカ潜水艦の電波発信を捉え、対潜警戒に入ります。浜名湖南の沖合約160kmに位置していたアメリカ海軍潜水艦「アーチャーフィッシュ」が、20時40分に「信濃」を発見します。一方、「信濃」側は、潜水艦の存在は分かったものの、位置は特定できていません。
夜間の海上で、空母と潜水艦の追跡戦が始まりました。「信濃」は機関が本調子ではなく20ノット以上は出せず、さらに魚雷攻撃を警戒して変針を繰り返すジグザグの航路を取ったため距離が稼げません。引き離されまいと必死の「アーチャーフィッシュ」は、ほとんど潜航せず水上全力航行で追跡します。
日付変わって11月29日の午前3時10分、約6時間20分の追跡劇ののち、「信濃」の前方、距離1500mへ占位することに成功した「アーチャーフィッシュ」は魚雷6発を発射、そのうち4発が「信濃」に命中します。
「信濃」は浸水が始まりますが、大和型の防御は、この程度の被害には耐えられる“はず”でした。被雷直後でも「信濃」は18ノットを維持、これを護衛する駆逐艦から退避行動を取った「アーチャーフィッシュ」は以降、追撃が出来なくなります。
悔やまれますね…結局マンパワー及び工業力の差でことですね。
いや工業力関係なくないこれ…沈められたのは戦技的な問題では
WW2は、戴けない。何でも洋語や略語を使い知的ぶるな。外国配信ならば兎も角、日本の事象を日本に配信するのであれば正規日本名称で報じるべきだ。こういうメディアの悪食姿勢が若年層に影響し、昨今の不明瞭な日本語の乱用に繋がって要るのをわきまえろ。
もともと大和型は速度が遅い。いくら飛行甲板が長いといっても信濃のスピードじゃ、30ノットは必要とされる空母には不向きだったんじゃないか?
加えて当時は艦隊経験(空母への発着艦)のある搭乗員も機材も残り少なかった。
停泊してても重油をがぶ飲みする巨大艦が沈んでホッとした関係者もいたんじゃないかな。
言い回しが妙に古臭く、不必要に小難しく、漢字が無駄に多いのも「知的ぶる」文章の典型例なんじゃないかなぁ。
そもそも「WW2」ひとつでよくもまぁここまで感情的に噛みつけるな。
最期の呉への回航はどうかと思う。制海権なき空母は意味がない。東京湾の一番対空銃火の密な場所においておとりにすべきだった。
どの艦も最終段階の作業は、呉でやってたよ。
信濃はその前段階の作業もやる予定だったけど、これは空襲と徴兵の影響で横須賀では作業が困難だったから、人材の揃ってる呉に回した感じ。
当時横須賀にいた長門の船員を使って回航してれば、少しはマシだったかもしれないけど、
まともな作業員も揃わない横須賀で、突貫工事で無理繰り形だけ作った船なんだから簡単に沈んでもしょうがない。
まだ艤装途中での移動でしたから水密区画も全く機能していなかったんでしょねぇ
多分船体自体を構成する金属が粗悪品だったので本来の強度がなかったような気がする。
乗組員が全員そろって乗り込んでおり、防水、排水活動をしていれば沈むことはなかったと考えられるが、回航のため必要最小限の人数しか乗り組んでおらず、排水が間に合わなかったことが沈没の最大原因であろう。
信濃はエンタープライズ(CVN-65)が登場するまでは、史上最大の排水量を誇った空母だった…。
この話は子供の頃から聞いてきたけど本当なのかなぁ?
そもそも完全艤装した大和型戦艦と空母の信濃とじゃあ排水量が全然違うような気がするんだけど…。
重防御を施した飛行甲板を装備して…って話もあるけど、普通、船全体を装甲で覆うような事はしない(出来ない?)よなぁ?(重防御を謳う大和型戦艦も含めて上甲板部は殆どが木材。)
本当は、米国のレキシントン級空母の方が(ワシントン海軍軍縮条約の手前、嘘をついている。)大きかったんじゃないかなぁ?
実際、全長も全幅もあっちの方が大きいみたいだし。
信濃の満載排水量を上回った空母はエンタープライズではなく、フォレスタル級(1955就役)。
信濃=約72000トン
フォレスタル=約80000トン
信濃は先に就航した太鳳に次いで2番目に飛行甲板に重装甲を装備しています。
ミッドウェイ海戦の教訓を活かした防御装甲で、大和のようなバカでかい艦橋や46センチ砲塔はないけど、全長210m、幅38mの範囲に渡って厚さ95mmの鋼板を敷き詰め、更に航空燃料タンクの防御の為にコンクリートが使用されてます。
元々大和級よりはるかに小さい巡洋戦艦から改造されたレキシントン級(43000トン)と比べちゃ可哀想です。船体のキャパが小さいレキシントンに信濃の飛行甲板を載せたらトップヘビーで間違いなく転覆します。
その代わり格納庫が小さく、搭載機数はサイズと比べて少ないです(47機)。
当時のアメリカ海軍は大和級のようなパナマ運河を通過出来ないサイズの軍艦を建造していません。
普通は日本近海を航行するわけだからエアカバーが期待できる昼間を選択する。しかし当時あろうことか沿岸を航行する新造空母の護衛にさえ飛行機を出したがらなかった。
護衛の駆逐艦長たちは全員昼間を進言した。アメリカの潜水艦は夜間用の潜望鏡を持っていなかったため実はほとんどの夜間攻撃は浮上して行われていた。にもかかわらず駆逐艦は潜水艦に圧倒的な苦手意識を持っていた。
この時期はお粗末、情けないとしか言わざるを得ない…
問題は当時水測装置が十分開発されていなかったことである。14ノットも出して航行すると自分のプロペラの音で潜水艦の音が聞こえなくなってしまう。
確か水上艦艇が水中に潜っている米潜水艦を発見して撃沈したのは3隻ぐらいしかなかったんでは?他は全て航空機が発見したり、浮上しているところやオイルが漏れているところを見つけられた場合だけ