「鳳翔」に始まる日本の「空母」を振り返る 黎明期からのその20年あまりの歴史とは
撃たれ弱かった旧日本海軍空母
旧日本海軍は、攻撃に強く防御に弱いといわれますが、アメリカ海軍と比べて決定的に遅れていたのが、被害を局限する「ダメージコントロール(ダメコン)」能力です。旧日本海軍の艦艇は空母に限らず、大型艦艇が少ない被弾で失われることが多く、その原因の多くはダメコンの失敗による「艦内火災」です。「ミッドウェー海戦」で失われた「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」は、いずれも被弾後、火災の消火に失敗して喪失しています。
旧日本海軍の空母は、悪天候や軽微な攻撃に対し航空機を守れるよう、格納庫を居住区などで囲っていたのが災いし、気化した燃料ガスが充満しやすく、爆風の逃げ場がなくて、被害が大きくなりやすいという構造上の問題がありました。
乗組員の訓練も攻撃一辺倒で、ダメコンは軽視されています。「ミッドウェー海戦」後からようやくダメコンの重要さに気付き、防火・消火設備の充実、飛行甲板の装甲化を行いますが、「装甲空母」として期待された「大鳳」や、「大和」の姉妹艦「信濃」は、いずれもダメコンに失敗し軽微な攻撃で失われています。
大正生まれの最初の空母「鳳翔」と“後輩”たちは、「真珠湾攻撃」などで戦艦に代わる「空母の時代」を築きますが、そのほとんどは戦没してしまいました。「鳳翔」は練習空母として“後輩”を育成し続け、旧日本海軍の最後までを見届けたのです。
【了】
ニミッツの『太平洋戦争海戦史』の始めのほうに「真珠湾の惨敗前でさえ、米艦隊はすべての艦種で日本艦隊より劣勢であった。もっとも具合が悪いことには、米国が三隻の空母をもって日本の十隻に対抗したことである」とある。
米空母も25番爆弾にさえ格納庫甲板抜かれて機関に損害が出ていたりする
撃たれる側の構造以外の違いも見逃せないね