戦艦+空母=最強? を実際にやった「航空戦艦」、旧海軍「伊勢」「日向」の一部始終

なぜ世にもまれな「航空戦艦」が生まれたのか?

 死者重傷者62名を出す大惨事となった爆発事故を受け、「日向」は損傷した第5砲塔を撤去し、そこへ応急的に25ミリ3連装機銃4基を搭載、なおかつ日本戦艦として初めて対水上電探(水上レーダー)を装備しました。

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1917年9月12日、就役前の公試中の「伊勢」(画像:アメリカ海軍)。
1935年頃、近代化改装前の「日向」(画像:アメリカ海軍)。
1930年代に撮影された、手前から「陸奥」「伊勢」「扶桑」(画像:アメリカ海軍)。

 その1か月後、日本海軍は「ミッドウェー海戦」で大敗し、主力空母4隻を失うという大損害を出してしまいます。海軍は、航空戦力増強のために急いで空母を量産しなければならない事態に陥りますが、空母を一から造るとなれば、時間もお金も膨大なものになります。「もっと手軽に空母の代わりになる船は作れないだろうか」と頭を抱えた首脳部の目に留まったのが、旧式かつ足が遅いため活躍の場が限られる扶桑型と伊勢型の4隻の戦艦でした。

 特に「日向」に関しては、爆発事故により砲塔の一部が取り除かれた状態であったため好都合とみなされ、最初に改装に入っています。ただし、砲塔全部と艦橋まで含めて全通甲板式(通常の空母に見られる、艦首から艦尾まで障害物のない航空甲板を持つこと)の空母に改装するには、時間的にも費用的にも問題があるため、船体後部の第5(「日向」は撤去済み)、第6砲塔部分のみの限定改装とし、そのぶんカタパルトを装備して航空機の運用能力を補うこととしました。

 そのため、水上機(フロート付き機)はともかく、着水できない(フロートのない)普通の空母艦載機は、カタパルト射出した後、着艦は陸上基地かほかの全通甲板式空母に任せることとしていました。着艦は、F-35BのようなSTOVL機(短距離離陸垂直着陸機)でもない限り発艦よりも滑走距離が長く必要で、なおかつ難しいものです。

 こうして「日向」は航空戦艦に生まれ変わったのです。これに「伊勢」も続きました。ただし扶桑型の「扶桑」と「山城」については、時間的な都合から改装は断念されたため、結果的に伊勢型の2隻は、日本の軍艦史上ほかに類を見ない「航空戦艦」となったのです。

 その後「伊勢」と「日向」は、輸送作戦などに従事したのち、1944(昭和19)年5月1日には第六三四海軍航空隊とともに第四航空戦隊を編成し、第三艦隊に編入されました。

【写真】終戦前後、呉で大破着底する「伊勢」「日向」

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