都内最古の駅遺構「昌平橋駅」と「万世橋駅」 関東大震災で焼失を免れた知られざる駅

なぜ昌平橋駅は、関東大震災で焼失を免れたのか?

 関東大震災では、この一帯に広域大火災が発生します。万世橋駅舎が赤れんが造りなのに全焼したのは、多くの人がこの駅舎の中にたくさんの荷物を持って避難してきて、その荷物に火がついてしまったためでした。万世橋駅は、戦時中の1943(昭和18)年に休止となります。

 旧昌平橋駅のほうは、関東大震災当時、駅ではなくなっていたので人が押し寄せなかったことが幸いしました。焼けることはなく、れんがアーチの下は自動車修理の工場、バナナの室、レストランやホテル運営会社の「聚楽(じゅらく)」や家電量販店チェーン「石丸電気」の倉庫などに利用されてきました。

 現在はスペイン居酒屋「El Chateo del Puente」「じゅらく酒亭」「ブッチャーズ八百八」「淡路坂珈琲」といった、いずれもカジュアルな飲食店となっています。

 当時の昌平橋駅入口は4連アーチのうち一番神田寄り部分だったようです。写真を手がかりに推測すると、神田川側に設けられた外階段でホームへと上ったようです。

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旧昌平橋駅の神田川側(2019年8月、内田宗治撮影)。

 現在、上記飲食店に入ると、耐震補強がなされていてかつての姿と異なり、切符売場の跡なども残念ながらありません。十数年前まで倉庫だった時代を知る人によれば、アーチの天井には古びたれんががむき出しになっていたそうです。

 110年以上前に造られた駅の遺構に入る店で食事を愉しみながら、東京の鉄道の歴史を振り返ってみるのがおすすめです。

【了】

【写真】100年以上前の中央線

Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

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1件のコメント

  1. 万世橋駅の写真は裏焼きでは?