JAL東京~シドニー線が50周年 豪観光ブームの追い風、不景気の向かい風を乗り越えて
JALのシドニー線が50周年を迎えましたが、必ずしも順風満帆ではありませんでした。最大の危機は日本の不景気。路線撤退が続くなか、オーストラリア路線唯一の生き残りがシドニー線でした。ただ現在はビジネス利用も増えているそうです。
香港経由、マニラ給油でスタート
JAL(日本航空)の東京(成田・羽田)~シドニー(オーストラリア)線が2019年9月30日(月)、就航50周年を迎えました。これを記念し同日、シドニーのオペラハウスでパーティーが開催されたほか、翌10月1日(火)のシドニー発成田行きJL772便の搭乗ゲート前でも、出発前にセレモニーが行われました。
JALは、1969(昭和44)年9月30日にこの路線を開設。就航当初はダグラス(現ボーイング)のDC-8-62型機(146席)で香港を経由し、マニラで給油してシドニーまで、約16時間かかりました。現在は、ボーイング787-9型機(195席)を直行で毎日運航。所要時間10時間弱と、大きく短縮されています。
JALの日本~オーストラリア線は現在、成田~シドニー線と、成田~メルボルン線(2017年9月開設)の2路線。しかし50年の歴史を振り返ると、必ずしも、順風満帆ではなかったようです。
かつては「ジャンボ」も飛んでいた
東京~シドニー線は1975(昭和50)年、DC-8-62型機で直行運航を開始。1981(昭和56)年からは、300~400席仕様の「ジャンボ」ことボーイング747型機が投入されます。
1990年代に入ると、日本のオーストラリア観光ブームが最高潮に。JALは成田~シドニー、ケアンズ、ブリスベン線を運航していたほか、関西~シドニー線も開設し、ここにも「ジャンボ」を投入しました。
JALの豊島滝三専務によると、JALの飛行機だけでは足りず、カンタス航空(オーストラリア)の飛行機を借りて運航していた時代もあったそうです。
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