「ホントに使えるのか?」だった“元祖ヘリコプター”が大冒険しちゃった件 「得体の知れない乗り物」はこうして実用化した

万博ではすべて飛行中止に追い込まれた「空飛ぶクルマ」のように、ヘリコプターもかつては将来性が疑問視された乗りものでした。その中で最初に量産にこぎ着けたドイツのがFa223「ドラッヘ」です。名前の割に繊細な機体でしたが、戦争では“結果的に”大冒険もしています。

最初に量産された「元祖ヘリコプター」とは

 2025年4月13日に大阪・関西万博が開幕。その目玉の一つが「空飛ぶクルマ」でした。4事業者が選定され万博期間中に商業運航が予定されていましたが、全て断念されています。デモ飛行のみ実施されましたが、4月26日のデモ飛行中に機体の一部が破損して全て飛行中止になるなど、次世代モビリティの将来は不透明です。

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終戦時アメリカ軍が鹵獲した直後のFa223「ドラッヘ」(画像:パブリックドメイン)

 一方、似たような存在のヘリコプターは、今やなくてはならないモビリティです。ただこれも開発当初は、将来性が疑問視されていました。1936年の書簡で「ヘリコプターは実用的でない」と指摘したのは、世界で初めて動力飛行に成功したオーヴィル・ライト(ライト兄弟の弟)でした。

 そんな中で最初に量産されたのが、ドイツのFa223「ドラッヘ」(竜の意)です。ナチス時代のドイツ航空省は航空分野で世界最先端を維持することを国家戦略と考えていたため、新技術にも挑戦的でした。

 Fa223は意外にも空軍より陸・海軍の方が開発に期待を示しました。陸軍は地形に影響されない輸送手段として、海軍は潜水艦や艦艇から運用できる偵察用小型機を欲していたのです。

 名戦闘機「フォッケウルフ」を生み出したフォッケ社がフォッケ・アハゲリス社を設立し、1938年から政府の後押しでヘリコプター開発を始めます。試作機の初飛行は1940年8月3日でしたが技術的な問題が多く、製造にも保守にも操縦にも特殊技能が必要でした。

 それでも戦時下で100機の生産が命じられましたが、実際に完成したのは11機に留まりました。「ドラッヘ」という割には繊細すぎる竜で、技術史の波間に消えていきそうしたが、その名に違わぬ大冒険もしています。

 Fa223は空軍の第40輸送飛行隊に配備されて輸送や救難に使用されました。1944年9月6日から10月5日までの陸軍山岳レンジャー訓練部隊で、Fa223が山岳歩兵を支援する輸送テストを実施。標高2300m地点への着陸に3回成功し、山岳レンジャー部隊長は、ヘリコプターは有用だと評価します。しかし、モンブランへの救難飛行では墜落しています。

 この故事を踏まえてか分かりませんが、1968年公開の映画『荒鷲の要塞』(原題:Where Eagles Dare)にドイツ軍の将校がヘリコプターで山岳要塞に到着するシーンが描かれています。登場したのはFa223ではなく戦後製のベル47G型機が代演しています。搭乗してきたドイツ軍将校はセリフのなかで危険な乗りものだと揶揄しています。

 しかし戦況も押し迫ってくると、繊細な竜に関わっている余裕はなくなり、フォッケ・アハゲリス社も戦闘機の増産に動員されるようになります。

【ガラス張り】これが元祖ヘリコプター「ドラッヘ」の操縦席です(写真)

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