なぜその場所に? 街から離れた「ポツンと始発駅」その事情を捜索

鉄道の始発駅、終着駅のなかには、ほかの中心駅から離れてポツンとたたずむ駅が少なからずあります。市街地や観光地のかなり手前に駅があることも。それぞれどんな事情があるのでしょうか。

なぜここに? 様々な事情を持つ「ポツンと始発駅」

 同じように接続路線がなくなってしまったのは、熊本電気鉄道藤崎線の藤崎宮前駅(熊本市)です。この駅は元々途中駅で、路線はその先の上熊本駅(同)まで道路の上を走っていました。その後、藤崎宮前~上熊本間は水害による運休を経て熊本市交通局に譲渡されますが、1970(昭和45)年には廃止され、この駅は市街中心部から800mほど離れた場所にポツンと取り残されてしまいました。現在は路面電車の延伸などが検討されていますが、未だにどの計画も実現していません。

Large 20191019 01
熊本電気鉄道藤崎線の藤崎宮前駅(2009年7月、宮武和多哉撮影)。

 市街中心部から離れた藤崎宮前駅は朝晩以外とても静かで、20年近く前のポケベルの看板広告がつい最近まであるなど、時代からもポツンと取り残されている感があります。

 JRの駅と路面電車で連絡していたパターンは、静岡鉄道の新静岡駅(静岡市)もありますが、こちらは元々の市街地が新静岡駅近辺であり、「新静岡セノバ」などの商業施設がある新静岡駅周辺の方が、400mほど離れているJR静岡駅(同)よりにぎわっている状況です。また、同じ静岡鉄道の東側の終点、新清水駅(同)もJR清水駅から700mほど離れていますが、こちらは近隣がJR清水駅より寂しく、新静岡駅とはかなり対照的です。

 やや寂しい場所にポツンと始発駅がある場合は、旅客以外の目的地が存在することがあります。たとえば都営浅草線 西馬込駅(東京都大田区)の先には車庫(馬込車両検修場)があり、その車庫の手前にポツンと造られたのが西馬込駅です。

 JR桜島線(JRゆめ咲線)の終点、桜島駅近辺(大阪市此花区)は日立造船の工場に囲まれた場所にありましたが、工場の跡地にユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンし激変。日中寂しかった終着駅は一転して目の前が“夢の世界”と化し、「ポツン」とは言えなくなりました。

【写真】時間からも「ポツン」と取り残された始発駅

最新記事

コメント

1件のコメント

  1. 大鰐線沿線には高校や大学などがあります!なのになぜ電車の利用者がいないのか私は単純に弘前駅と繋がっていないからだと思います!以前にヤフーマイ知恵袋にもコメントしました!地上は無理なので地下トンネルで弘前駅の弘南線ホームと繋げて弘南線と統一させたらどうかと!中央弘前駅手前から地下に潜り和徳方面へ大きく円を描くような感じ!そしてJRの線路したをくぐり現在の弘南線ホーム北側数百メートルのところで地上に出て弘南線ホームに入線するという形!

    仮にこのようになった場合色々考えられます!まず今現在、弘南線とバスを利用して大鰐線沿線にある学校に通学している学生(弘前高校、弘前実業高校、聖愛高校、東奥義塾高校、弘前大学、弘前学院大学など)は各最寄り駅(中央弘前、弘高下、弘前学院大前、聖愛中高前駅、義塾高校前)まで直通できます!一旦、弘前駅の外に出てバス停に行きバスを待つ必要も無し、特に冬は寒い思いをし交通渋滞を絡むバスから解放される!まして鉄道は渋滞無関係の時間の正確性あり!また弘前駅までJR線を使い駅前からバスに乗り換えている人もJRホームから弘南線ホームへと移動すれば良いだけなのでスムーズ的な面も出て来ます! そしてまたこれが弘南黒石から弘南大鰐まで通しで走って約1時間、それも以前のように30分毎に走り場合によっては快速を復活させればこした事がないと思います! ここから先は余談になりますが話がちょっと戻った所で現中央弘前駅の手前から地下に潜りますので中央弘前駅ホームは地下化された場合に現在の地上のホームは空きますので有効に使い弘南鉄道関係の車両資料館にするもよし、あるいは他の町でもやってるように払い下げのブルートレインを購入してきて桜祭り、ねぷた祭の観光客などの宿泊施設の列車ホテル(弘南グループで経営)にするもよし観光客誘致のための様々な使い道も出てくると思いますし車両基地は平賀駅に統一されると思うので現在の大鰐線の津軽大沢駅の車両基地が撤去された後の広い空き地も有効に使い弘南グループ経営の宿泊施設、ホテル設置などどうかと思います!

    以上です!