なぜその場所に? 街から離れた「ポツンと始発駅」その事情を捜索

鉄道の始発駅、終着駅のなかには、ほかの中心駅から離れてポツンとたたずむ駅が少なからずあります。市街地や観光地のかなり手前に駅があることも。それぞれどんな事情があるのでしょうか。

接続していた路線が消えた? やむを得ない「ポツンと始発駅」

 高野鉄道は紆余曲折を経て、南海電鉄との合併で南海高野線となり、当初の念願であった難波への乗り入れを果たします。この時点で汐見橋駅は当初の意義を失い、「都会のローカル線」とも称される汐見橋~岸里玉出間(通称、汐見橋線)の始発駅として、いまに至るまで静かに歴史を重ねることになるのです。

 元々ライバル会社のターミナルであったケースでは、「良い立地を取得できなかった」ために始発駅がポツンと離れた場合も多く、現在の中心駅に比べてやや寂しい場合が多く見受けられます。

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南海高野線の汐見橋駅(2010年6月、宮武和多哉撮影)。

「接続路線が廃止されて取り残された」ケースもあります。北陸鉄道石川線の始発駅、野町駅(石川県金沢市)は、駅前に北陸鉄道の金沢市内線が乗り入れていましたが、1967(昭和42)年の廃止によってこの駅が宙に浮くこととなりました。また石川線は、野町駅から800m先にあった元々の終点、白菊町駅を積み降ろしのターミナルとして、1972(昭和47)年まで貨物輸送が行われていました。「ポツンと始発駅」としてのいまの野町駅は、旅客・貨物ともに接続を失った結果だったのです。

 旅客の利用者の流れはかつて路面電車で連絡していた香林坊方面(市街中心部)にあり、駅前ロータリーは電車到着のたびに接続バスが待ち構え、1.6kmほど先の香林坊や、3kmほど先の金沢駅までスムーズに継げます。そして現在、金沢の観光客増加の対策としてLRT(次世代型路面電車)建設の話が持ち上がっており、野町駅は数十年のときを経て「ポツンと始発駅」から脱出できるかもしれません。

【写真】時間からも「ポツン」と取り残された始発駅

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コメント

1件のコメント

  1. 大鰐線沿線には高校や大学などがあります!なのになぜ電車の利用者がいないのか私は単純に弘前駅と繋がっていないからだと思います!以前にヤフーマイ知恵袋にもコメントしました!地上は無理なので地下トンネルで弘前駅の弘南線ホームと繋げて弘南線と統一させたらどうかと!中央弘前駅手前から地下に潜り和徳方面へ大きく円を描くような感じ!そしてJRの線路したをくぐり現在の弘南線ホーム北側数百メートルのところで地上に出て弘南線ホームに入線するという形!

    仮にこのようになった場合色々考えられます!まず今現在、弘南線とバスを利用して大鰐線沿線にある学校に通学している学生(弘前高校、弘前実業高校、聖愛高校、東奥義塾高校、弘前大学、弘前学院大学など)は各最寄り駅(中央弘前、弘高下、弘前学院大前、聖愛中高前駅、義塾高校前)まで直通できます!一旦、弘前駅の外に出てバス停に行きバスを待つ必要も無し、特に冬は寒い思いをし交通渋滞を絡むバスから解放される!まして鉄道は渋滞無関係の時間の正確性あり!また弘前駅までJR線を使い駅前からバスに乗り換えている人もJRホームから弘南線ホームへと移動すれば良いだけなのでスムーズ的な面も出て来ます! そしてまたこれが弘南黒石から弘南大鰐まで通しで走って約1時間、それも以前のように30分毎に走り場合によっては快速を復活させればこした事がないと思います! ここから先は余談になりますが話がちょっと戻った所で現中央弘前駅の手前から地下に潜りますので中央弘前駅ホームは地下化された場合に現在の地上のホームは空きますので有効に使い弘南鉄道関係の車両資料館にするもよし、あるいは他の町でもやってるように払い下げのブルートレインを購入してきて桜祭り、ねぷた祭の観光客などの宿泊施設の列車ホテル(弘南グループで経営)にするもよし観光客誘致のための様々な使い道も出てくると思いますし車両基地は平賀駅に統一されると思うので現在の大鰐線の津軽大沢駅の車両基地が撤去された後の広い空き地も有効に使い弘南グループ経営の宿泊施設、ホテル設置などどうかと思います!

    以上です!