間宮羊かんを確保せよ! 旧海軍将兵が大歓喜した特務艦「間宮」 その表と裏の顔とは?

 こういった特務艦の艦長といえば、予備役寸前の大佐と相場が決まっていたのですが、「間宮」の艦長は通信畑の専門家が務めていました。実はこれが、連合艦隊のアイドルが持つ「裏の顔」の一端を示しています。

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1939(昭和14)年5月1日に高知県の宿毛湾で撮影された「間宮」。

「給糧艦」という性格上、比較的余裕のある設備と自由な行動スケジュールを活かし、「間宮」は強力な通信設備を搭載して、「無線監査艦」という任務も担っていたのです。この通信設備は敵艦の通信を傍受するのではなく、日本海軍内での通信のやり取りを監視するためのものでした。

 無線監査とは、密かに各艦の通信状況を傍受監視し、通信の不適切な発信や無駄な発信をする不良通信艦を摘発したり、応答や発信時間を計測して通信技量を測定したりすることです。そのため、艦隊司令部通信関係の「事情通」は、「間宮」が来航すると嬉しい反面、ドキドキもしたそうです。通信不良艦の幹部は「間宮羊かん」を堪能していたら、艦隊司令部から呼び出されて怒られるという、「間宮」のおかげで天国から地獄のようなこともあったといいます。

「間宮」は1944(昭和19)年12月20日夜に、アメリカ海軍の潜水艦「シーライオン」に発見され攻撃を受けます。魚雷4本が命中し航行不能となり、翌21日未明にはさらに魚雷2本を被弾して、南シナ海北部の海南島沖で沈没してしまいます。冬の海上は寒さ厳しく、生存者はわずか6名でした。

 正月を間近にしての「間宮」の喪失は、連合艦隊の士気に多大な影響を与えたといいます。「シーライオン」はそのちょうど1か月前、11月21日に戦艦「金剛」を雷撃で撃沈していますが、戦局に与えた影響はその時よりも大きかったかもしれません。

【了】

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Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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コメント

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2件のコメント

  1. こういう一点豪華主義みたいな兵站じゃなくて、もっと地道で継続的な兵站が必要だったんだろうなと思いました。

    • はあやってるっつーのそういうのを偏見ていうんだよ