かつて「梅田」は「埋田」だった 湿地帯に造られた初代大阪駅 建設中の写真見つかる

「大阪」と言えば「ミナミ」だった

 1901(明治34)年、手狭となった初代大阪駅の東側に、2代目の大阪駅が建設されて移転。現在の場所です。やがて西成鉄道と関西鉄道は国有化され、大阪駅は国営鉄道の単独駅へと戻りました。

 ちなみに、当時は大阪駅のことを「梅田駅」「梅田ステーション」と呼ぶ人が多かったそうです。というのも、当時この辺りはまったく開発されておらず、「大阪」といえば難波や心斎橋などの、いわゆる「ミナミ」を指していたため、「大阪駅」と言われてもピンとこなかったとか。1906(明治39)年には阪神電気鉄道が、1910(明治43)年には箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)が、いずれも大阪駅に隣接してターミナル駅を開業しますが、両駅とも「大阪駅」ではなく、「梅田駅」と名付けられました。

 今回のポスター展示は、この初代大阪駅の建設を記録した写真が見つかったことから企画されました。これまで、完成後の写真は各所で公開されていましたが、建設時の写真は発見されておらず、とても貴重な資料だといわれています。

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本屋工事の様子(画像:JR西日本)。

 この写真を撮影したのは、イギリス人技術者のJohn England(ジョン・イングランド)氏です。同氏は初代大阪駅の建設に携わっており、その時に撮影したものと思われます。同氏の子孫が保管していた写真を、京都大学鉄道研究会OBである西城浩志氏らが分析した結果、初代大阪駅の写真であることが判明しました。

【写真】大阪駅には転車台があった

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コメント

1件のコメント

  1. 曽根崎心中であの一帯が湿地帯なのはすでに知られていたのに何言ってんだ?
    学の無いライターだな。