かつて「梅田」は「埋田」だった 湿地帯に造られた初代大阪駅 建設中の写真見つかる

湿地帯を開墾して生まれた「梅田」

 そして、この写真からある事実が明らかになりました。それは、「大阪駅がある辺りは、もともと湿地帯だった」ということです。従来、大阪駅の所在地である梅田は湿地帯を田んぼとして開墾した場所、つまり「埋めた田」が名前の由来だという説が語られていました。ただし、証拠となる資料はなく、あくまでも推測の域を出ていなかったのです。今回の写真は、民家などがまったくない砂地の場所に大阪駅が建設される様子が記録されており、この説が裏付けられました。

 写真には、地下水をくみ上げるための井戸も写っており、地下水位が高く軟弱な地盤であることがうかがえます。実は、今も梅田エリアは地下水位が比較的高く、大阪駅の北側で建設が進む「うめきた新駅」の工事現場では、地下水の対策が入念に行われています。

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建設が進む「うめきた新駅」の工事現場。地下水が漏れ出さないよう、地中にコンクリート製の壁を作ってから掘り下げている(2018年5月、伊原 薫撮影)。

 ところで、どうして地名は「埋田」ではなく「梅田」なのでしょうか。こちらも正確な記録は残っていないのですが、「埋田」ではイメージが悪いことから、江戸時代に「埋」ではなく「梅」の字を充てるようになった、という説が有力です。なお、写真では梅の木は確認できませんでした。

 展示されたポスターには、レンガ造りの駅舎を建設する様子や、転車台を造る途中の写真が掲載され、多くの人が眺めていました。今や一日80万人以上が乗り降りする大阪駅ですが、開業時は大阪市の中心部から遠く、何もない場所に作られたことがよく分かりました。

 今回の展示はすでに終了していますが、今後も展示される機会があることを期待したいところです。

【了】

【写真】大阪駅には転車台があった

Writer: 伊原 薫(鉄道ライター)

鉄道ライター。乗り鉄・撮り鉄のほか、鉄道旅で酒を楽しむ「飲み鉄」や列車を貸し切って遊ぶ「借り鉄」の普及に勤しむ。最近は、鉄道と地域の活性化アドバイザーとしても活動中。好きな発車メロディはJR北千住駅。

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コメント

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1件のコメント

  1. 曽根崎心中であの一帯が湿地帯なのはすでに知られていたのに何言ってんだ?
    学の無いライターだな。