「大型フェリー船長」の仕事を聞く 旅客船ならではのやりがい その魅力&なり方は?
関東と北海道を結ぶフェリー「さんふらわあ」の船長に、どのような仕事なのか、その魅力やなり方について聞きました。以前はおもに無人トレーラーを輸送するRORO船に乗務していたそうですが、職場の雰囲気はやはり、大いに違うそうです。
原点はアニメ『未来少年コナン』
大型フェリーの代名詞のひとつ、商船三井グループの「さんふらわあ」。2019年現在、東日本で「商船三井フェリー」が運航するものと、西日本で「フェリーさんふらわあ」が運航するものがあります。
今回は前者、商船三井フェリーが茨城県の大洗港と北海道の苫小牧港間で運航している「さんふらわあ」の、吉田祥悟船長に話を聞きました。趣味は色々ありますが、トランペットもそのなかのひとつで、入港後の誰もいないブリッジで吹く『鳩と少年』(映画『天空の城ラピュタ』劇中曲)は響きが最高、だそうです。
――どうしてこの仕事を目指そうと思ったのでしょうか?
子どものころは身体が弱く、小学1年生から水泳を習い始め、泳ぎが得意になるうちに海好きになりました。そのころ、テレビアニメの『未来少年コナン』(1978〈昭和53〉年初放映のSF海洋冒険活劇)を観たのも大きかったですね。思い起こせば私の原点は、ここだったと思います。
ただ私、乗りもの酔いがひどく、子どものころはクルマの排気ガスの臭いがしただけでダメだったんです。中学2年生のときに、東海汽船さんの「初日の出クルーズ」に乗ったのですが、乗船する港に着いたとたん潮と油の臭いで気分が悪くなってしまい、到着した伊豆大島では観光バスから一歩も降りられなかったほどでした。帰りの船もつらくてつらくて身の置き所がなく、冷たいパイプにしがみついてやっと東京に帰り着いた思い出しかないのに、でも、そこで「船に乗りたい」と思ったのです。
――普通なら「二度と乗りたくない」となると思いますが、なぜそこから船乗りを目指そうと思ったのでしょうか?
大好きな海に負けたくなかったんでしょうね。中学時代、水泳の県大会で準優勝できたのですが、そのときもとにかく「負けたくない」という思いで練習に練習を重ねました。
だいせつの火災での船長さんや亡くなられた船員さんの船乗りとしての使命感は学ぶべきところが多い。
商船三井及びそのグループに属する会社にこのような人材が居ることはせめてもの救いである。