「最弱戦車」評価は本当?イタリア「M11/39」北アフリカで大敗北 何が問題だったのか

弱かったのは戦車か、人か?

 イタリア軍のこの大敗はしかし、一概にM11/39の能力不足のせいだけともいえない一面があります。というのも、当時のイタリア軍は非常に士気が低く、戦う前に逃げ出してしまう兵士も非常に多かったといわれています。

 M11/39も、その能力を発揮する前に乗員が逃げ出してしまうことも多かったようで、そうして無傷のまま放置されたM11/39は、敵のイギリス軍はじめ連合国軍に鹵獲(ろかく)されました。鹵獲された戦車は連合国軍に使用され、イタリア軍を追い詰めるのにその能力をいかんなく発揮したというのは、非常に皮肉な話です。

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砂漠に放棄されたM11/39中戦車を調べるオーストラリア兵(画像:オーストラリア戦争記念館)。

 しかし、M11/39を失ったイタリア軍も、そのままやられてしまったわけではありません。M11/39の失敗を活かし、回転砲塔に47mmの戦車砲を取り付けた戦車M13/40を開発、援軍として到着したドイツ軍と共にイギリス軍へ反撃を行いました。1940年に始まった北アフリカでの戦いはその後、1943(昭和18)年に連合軍がイタリア本土へ上陸するまで続き、同年9月、イタリアはドイツや日本より先に降伏することになります。

【了】

【写真】カンガルーマークを描かれたM11/39中戦車

Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

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