湾岸戦争で艦砲斉射 「ミズーリ」などWW2世代アイオワ級戦艦 1980年代現役復帰のワケ
長い期間を隠居のように過ごしレーガン政権で転機が
運用面からアイオワ級を眺めると、元々、空母艦隊や揚陸艦隊への随伴も念頭に置かれており、それまでの大艦巨砲主義から一部脱却した戦艦でもあります。おかげで戦艦中心の艦隊編成でなくなった時代の、速力の高い艦船にも随伴することができました。
時代の変化により、艦隊決戦の可能性はほぼなくなったものの、地上への艦砲射撃による面制圧力に関しては依然として高く評価されており、第2次世界大戦終結後は世界唯一の戦艦級として、「朝鮮戦争」や「ベトナム戦争」にも参加し、沿岸施設などへの艦砲射撃を行っています。
ですが、その巨体を維持する費用は無視できませんでした。1992(平成4)年に最後の1隻となった「ミズーリ」が退役するまで、戦争のない平時におけるアイオワ級戦艦4隻は、ほとんどの期間を予備役として、「モスボール」という運用可能な最低限の整備を施されて過ごしていました。
第2次世界大戦の終戦直後からすでに、アメリカ海軍ではアイオワ級戦艦の活用法に困っていたそうで、ミサイル艦化構想のほか、垂直離着陸機やヘリコプターを搭載した、まるで旧日本海軍の戦艦「伊勢」「日向」のような航空戦艦構想まであったそうですが、いずれも実現していません。
この、ほぼ隠居のような扱いに変化が訪れたのが、1980年代のロナルド・レーガン政権時代です。同政権ではソビエト連邦および東側陣営に対して強硬な態度を取っており、海軍でもソ連に対抗するべく「600隻艦隊構想」という軍備計画が立ち上がります。この計画はアメリカ海軍の保有艦を600隻にするというものですが、そのなかにアイオワ級の、戦艦としての完全復帰も計画されていました。
こうして構想に従い、4隻のアイオワ級にはトマホーク巡航ミサイルやハープーン対艦ミサイルの発射機を取り付ける、近代化改修が行われました。
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