独自進化F-14やMiG-29など東西の戦闘機が混在 特異なイラン空軍 何があったのか?
イランが米ソ両方にそっぽを向かれたワケ
しかし1979(昭和54)年に発生したイラン革命後、成立した現在のイラン・イスラム共和国は、一転して反米政策を打ち出します。同年11月に革命勢力が人質を取ってアメリカ大使館を占拠したため、アメリカはイランと断交し、革命前に導入したF-14などの部品の調達が不可能になりました。
冷戦時代、アメリカをはじめとする西側諸国と敵対する国の多くは、旧ソ連などの共産圏から武器を輸入していましたが、イランは革命の翌年の1980(昭和55)年に、当時旧ソ連が肩入れしていたイラクと戦争を始めてしまったため、旧ソ連から戦闘機などの兵器を導入することも困難な状況になってしまいます。
このためイランは非合法な方法で、アメリカ製戦闘機の部品を調達して空軍戦力を維持しようとします。1988(昭和63)年には日本の企業からF-4戦闘機に搭載する、「サイドワインダー」空対空ミサイルの飛行安定化装置が不正輸出され、輸出した企業の社員が有罪判決を受けるという事件も起こっています。
イラクとの戦争終結後、イランは旧ソ連からMiG-29戦闘機、中国からMiG-21戦闘機をコピーしたJ-7戦闘機をそれぞれ導入していますが、旧ソ連、中国ともイラクやほかのアラブ諸国への配慮から、イランの要求よりも少ない機数しか輸出しておらず、革命前に導入したアメリカ製戦闘機を更新することはできませんでした。
その後イランは1991(平成3)年に発生した湾岸戦争で、イラクから亡命してきたフランス製のミラージュF1戦闘機と、旧ソ連製のSu-22戦闘機を接収して、自国の空軍の戦力に組み込みます。こうして1990年代前半の時点でイラン空軍は、アメリカ、旧ソ連、フランスの3か国が製造した、合計7機種の戦闘機を運用する状態になっていました。
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