日本初の南極観測船「宗谷」超強運だった 元軍艦 受けた魚雷は不発 総員退艦でも復活
ソ連の船になるはずがなぜ旧海軍で「宗谷」襲名?
「宗谷」の建造は、1938(昭和13)年に進水式までこぎつけますが、ソ連が引き取りを渋っているあいだに、政治状況の悪化などでキャンセルとなり、国内で商船「地領丸」として使用されます。その後、1939年(昭和14)11月に日本海軍が買い上げ軍艦扱いとなり、ここで「宗谷」という艦名になります。
実は当時の海軍には、海面の氷を割りながら航行できる砕氷艦が旧式の「大泊」しかなく、砕氷能力が高い「宗谷」は建造中から注目されており、ソ連との契約の解消を当時の外務省と海軍省も強く勧めたそうで、将来的に海軍が買い上げることも予定通りだったという説もあるそうです。
海軍籍の軍艦になった当初から海軍内では、砕氷艦にする案はあったそうですが、時世の変化により砕氷艦の価値が薄まったことで、結局、測量をする特務艦として南方の海で活動することになり、西太平洋トラック諸島、ポナペ島の正確な海図を作るために測量を担当します。
その後、日米が開戦し太平洋で戦争が始まると、太平洋の島々で測量任務に加え、輸送任務も担うようになりました。
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